第18章 誘拐
「……今日よ。やるなら、今日を逃して他にないわ」
彼女の声。
耳元で聞こえたその音量から察するに、さっきよりずいぶん近くにいるようだ。
体に伝わる温度と振動。
どうやら、あたしはさっきの女性に抱き抱えられてどこかに移動しているらしい。
薄暗い道を女性は迷うことなく颯爽と歩いていく。
「どこへ行く。……お声がかかったか?」
「──…ええ。お嬢様をお連れするように、と。わたくしが向かいますので、あなたたちは持ち場へ戻りなさい」
幾度か男の人に声をかけられたけれど、女性は毅然とした態度で応じていた。泣き崩れていた彼女と同じ人物なのか疑うほどだった。
「──出ていくの?」
その時だった。幼い子供の声が聞こえて、女性は立ち止まった。
男たちには命令するようなきびきびとした口調で接していたのに、どうしてだか子供の声には少したじろいでいるようだった。言葉に詰まってから、観念したように囁く。
「……告げ口、なさいますか」
子供の返答は聞こえなかったけれど、きっと首を振ったんだと思う。ややあって、女性が安心したように息を吐いた。
「──そう、ですか。ありがとうございます」
「言わないから、頭、撫でさせて」
ぽつりと聞こえた子供の声。
女性は従順にその場にしゃがみ込むと、あたしの頭に優しく手が置かれる。視界が悪くて声の主は見えなかったけれど、触れたのはやっぱり幼い子供の手のようだった。
「──またね」
囁くような子供の声が聞こえたあと、女性はすっくと立ち上がった。足早にその場を去ろうとして、ふと思いついたように立ち止まる。
「共に来られますか。貴方は、ここにいる方々とはどこか違う……」
返答は聞こえなかったけれど、きっとまた、首を振ったんだと思った。女性が何も言わずにその場を通り過ぎたからだ。
──誰だったんだろう。
温かい、小さな手。
あたしはあの手を知っているような、そんな気がした。