第2章 旅立ち
「誰にも言ってなかったんだけど」
今より小さい頃、シスターに出生を聞くと、生まれた時からここにいると教えられた。
だけど、本当は別の場所にいたことをあたしは知っている。たまにその時の夢を見るから。
ただの夢だと思えばそれまでだけど、何故かあれが過去の記憶だという確信があった。
シスターがそう言うなら別に否定する気にもなれなくて、それで納得したフリをした。
だからさっきもそう答えたんだけど。
なのになんでかな。
あなたに話してみたくなったのは。
「大きな人でね。あの頃あたしはずっと小さかったけど、それでもすごく大きな人だったと思うの」
優しい手をしていた。
そしてどこか懐かしい声。
「その人、お前は自由だって。そう言って笑ってた」
呟いた途端、単調に地面を踏み締めていた歩みが急に止まった。
何も無いはずの森で突然風が吹く。
草木がざわざわと騒めいた。
そして風が収まると同時に、青年は何事もなかったかのようにまた歩き出した。
背中からは青年の表情は見えない。
だけどなんとなく、さっきのあの目をしてるんじゃないかと思った。
驚いたような、泣きそうな、そんな目を。
気がつけば遠くに教会の明かりが見えた。
もう辺りは真っ暗だ。
青年はゆっくりあたしを地面に下ろした。
「名前教えてよ」
最後にもう一度聞いてみる。
青年は少し迷ったようだったけど、今度はちゃんと教えてくれた。
「ロー。トラファルガー・ローだ」
教えてもらったばかりの名前を口の中で小さく呟いてみる。
優しく舌を撫でるその音は、初めて聞く名前なのにどこか懐かしい気がした。
「ロー。明日も会える?」
会いたい。
この人のことをもっと知りたい。
不器用で、無愛想で、でもきっととても優しい人。
彼は少しの間あたしを見てたけど、やがてほんの少し口角を上げて言った。
「お前が、戦う気になったらな」
そして、今出てきたばかりの森に引き返して行く。もうこちらを振り返らない。
あたしはその背中が闇に溶けて見えなくなるまでずっと見ていた。