第1章 硝子越しの哀憐
「なんてことだ……」
アルバートは驚きのあまり、思わず開きかけた口許に手をやる。
もう遠い昔に捨て去った過去のこととはいえど、アルバートは骨の髄まで伯爵家を継ぐ次期当主として育てられた身だ。
かつて自分の家で働いていた使用人が落ちぶれて身をやつしていることを知って、ある種の罪悪感を感じずにはいられないのだろう。
ルイスは核心に迫った質問を投げかけた。
「サラが退職した理由をご存知ですか?」
「お父上がご病気を患って、ご両親の世話をするために実家に帰ったんだ。そういえば確か、生まれ故郷はこの辺りだと聞いたことがあるな。」
「……こんなことを考えるのは、間違っているのはよく分かっています。そもそも彼女はなんの関係もない部外者で赤の他人ですし、僕たちが関わるべきことではない……」
「……ルイス。」
「でも何か……僕にできることは、あると思いますか?」
自分たちにできることは、何もないだろう。
たった一人を救ったところで、この国はなにも変わらない。目の前の人間を救うことだけが僕たちの仕事ではない、それならいっそ何も見なかったことにして使命に集中するべきだ。
それでもルイスは思い出す――心臓の手術を終えて病院から退院する日に、兄ウィリアムと一緒に病院の前まで迎えに来て、そっと兄弟を抱きしめてくれた彼女の温もりを。
痛みで苦しくて眠れない夜に、一晩中そばに居てルイスの手を握ってくれていたことも。
アルバートはしばし沈黙した後に、ひどく優しい眼で弟を見て言った。
「なにもないよ、ルイス。」
兄の口から望みどおりの答えが聞けたことに、ルイスは安堵する。ただ確認したかっただけなのだ、所詮己は無力なのだと。
兄の手を余計に煩わせることもなくなり、これで良かったではないかと自分に言い聞かせる。
ぽんぽんと慰めるように肩を叩くアルバートに、ルイスは胸の内を鈍く痛ませる焦燥にも気づかないふりをしてぎこちなく微笑んで見せた。