第1章 硝子越しの哀憐
「……サラ?」
気づけば無意識にそんな名前を口にしていた、フレッドが不思議そうにルイスを見る。
慌てて振り向いた時にはもう遅い。馬は軽快に走り去り、瞬く間に彼女の姿は視界から消え去っていった。
寒そうにショールを引き寄せていた彼女の姿を思い出す、刹那に合った目を。ほんの一瞬だったが、間違いない。
昔、モリアーティ家に養子として引き取られたばかりの頃。屋敷で働いていたメイドだ。
幼かったルイスとウィリアムにも珍しくよくしてくれたので覚えている。
火事の前に退職して屋敷を出ていったのが最後、どうせ二度と会うこともないだろうと今の今まで忘れかけていた。
なのにどうして、こんなところに。
頭に浮かんだ疑問に自ずと予測される、決してよくない可能性から思わず目を背けるように、ルイスはかたい表情のまま前を向く。
あの優しく、活発で、よく働くサラが、体を売っているのか。
記憶の中に残る彼女の姿からはほど遠い、やつれた姿にルイスは自分でも意外なほどショックを受けていた。
彼女がいつもノリのきいた真っ白いエプロンを身につけて、手入れされた長い髪を乱れなくきちんと結い上げていたから。
でもたぶん、理由はそれだけではない。彼女はあの屋敷でアルバート以外に少なくとも二人の唯一の味方だったのだ。
人生のうちで触れた数少ない、善意。希望とも憧憬とも言いがたい人の温かさ。
寒さで眠れぬ夜には毛布を与え、一日中働いて疲れきった後で兄弟のためにスープを温め直し、なにかとよく二人のことを気にかけてくれていた。
そこらの大人よりも聡い方ではあったけど、まだ幼かった兄弟にとって彼女の存在は大きな支えとなっていたのも確かである。
それなのにどうして、彼女が。
帰りの車中に揺られる間、ルイスはただただそればかりを考えていた。