第22章 兄と弟
履き終えた実弥さんが立ち上がった所で、顔だけこちらに向けて、口を開く。
「今日は蝶屋敷からそのまま行くから、晩飯はいらねェ」
「分かりました。気をつけて、行ってらっしゃいませ」
そう答えると、出ていく実弥さんの後ろ姿を見つめる。
殺の文字が実弥さんの気持ちの表れのようで、毎回胸が一杯になる。
玄関の戸を開けた所で、何故か立ち止まった。
ん?どうしたのだろう。忘れ物だろうか?
聞こうとした時に、少しだけ実弥さんが振り返る。といっても、耳と頬が辛うじて見える程度だ。
「風呂敷、ありがとうなァ」
小さな声で呟かれた言葉は、すぐに閉められた戸の音にかき消されてしまう。
返事を返す間はない。
「どういたしまして、実弥さん。こちらこそよろしくお願いします」
伝えたい相手は既にいない。
出ていった戸に向かって、そう呟く。
ほんの小さな事だし、面と向かっては言ってくれなかったけど、どんな形でもちゃんと伝えてくれる実弥さんの不器用な優しさが大好きだ。
言いたいことだけ言っていなくなった、この屋敷の主の姿を思いだし、クスクスと笑いが汲み上げる。
風柱である不死川実弥という人物が、こんな一面があることを、どれだけの人が知っているのだろうか。
こんな何気ない日常が、本当に大切だと思う。
「さぁ、仕事に戻ろう」
そう呟き、立ち上がる。
掃除が途中だ。私が今できることをやる。そうしていれば、できることが増えるかもしれない。
そんな事を考えながら、動き出す。
この当たり前になった生活が、本当に貴重で、私にとって最高の時間だったと思い知るのは、もう少し後の事だった。