第16章 呉服屋さん
「私、何か忘れ物でもしてましたか?」
そうであって欲しいと思い、尋ねる。一応笑顔だ。流石に嫌な顔はしないでおこう。
「いいえ。ノブさんはもう帰られるんですか?」
「少し買い物をしてから帰ります」
「じゃあ、少しご一緒してもいいですか?」
何でそうなるんだと思いながら、話を続ける。
「お仕事は大丈夫なんですか?」
「今日は休みなんですよ。だから大丈夫です。あの、少しだけでいいんで、次に行かれるお店まででいいです。その間だけでいいので、お話しできませんか?」
意外と身振り手振りの多い人だ。先程までと違って、意外と可愛らしい部分に、クスリと笑いが込み上げる。
元の勇一郎さんは、こんな人なのだろう。
仕事の時は落ち着いた感じで、口調もゆっくりだが、ワタワタとする姿は年齢相応というより、下に見える。
何だか放ってはおけない、弟みたいな感覚に陥る。
「特に楽しい話題もないですけど…お休みならお仕事は大丈夫なんですよね?それなら、次のお店まで、という約束ならいいですよ。今日は早めに買い物して帰りたいので」
「良かった。じゃあ、行きましょう。今からどこに行くんですか?」
「甘味屋に」
「ああ。ちょっと近いな。仕方ないか」
素が出たようだ。敬語がなくなっている。
「約束は約束ですよ」
コロコロと変わる表情と口調に、笑いが込み上げる。だけど、約束は守ってもらわないと。
「分かってますよ」
また敬語に戻った。何だか変な感じがして、勇一郎さんに提案する。
「敬語は使わなくていいですよ」
「分かった。じゃあ、ノブちゃんって呼んでもいいかな?」
ここ一番の笑顔だ。仕事の時の営業スマイルとはちょっと違う、素の勇一郎さんの笑いなのだろう。
「もう呼んでますよね?」
「うん。それと、俺にも敬語は使わなくていいからね」
そうは言われても、何だかすぐには難しい。呉服屋の店員さんのイメージからまだ抜けきれないのだ。
「うーん。私はすぐには難しいので。話してて敬語がなくせそうだったら、そうさせてもらいますね」
そう伝えれば、勇一郎さんも分かったと頷いた。