第5章 五夜目.雨
大木の下にあるベンチに二人は腰掛ける。肩と肩が触れ合う距離ではなく、それよりもかなり遠い。
『そういえば、また会えたらお伺いしたいことがあったんですよ』
エリは昨日、何度も心の中で練習した通りの質問をした。成果があり、ごく自然に口に出来たと思う。
彼はすぐにピンときたようで、自信ありげに頷いた。
「もしかして、名前?」
『すごい!よくお分かりになりましたね』
「僕も気になっていたから」
さらりと甘さを孕んだ言葉を使ってしまうのは、彼の癖なのだろうか?エリはその度に、少しだけ鼓動を早くした。
「僕の名前は……壮五、といいます」
彼は、苗字を名乗ることをしなかった。
もしかするとその他大勢の人間には、下の名前のみを明かす自己紹介は異様に映るかもしれない。しかし、エリにはそれがとてもしっくりきた。とてもとても、納得できた。
きっと壮五は、苗字を口にすることで身分が明るみになるのを嫌ったのではないだろうか。
実のところエリも、フルネームを彼に明かすつもりはなかった。
『私は、エリです。
壮五さん。改めまして、先日はありがとうございました。そして今日も。あなたのような優しい方に出逢えて、私は本当に嬉しいです』
「そんな、大袈裟ですよ」
壮五の頬がほんのり色付いたように見えるのは、エリの気のせいだろうか。
「すみません。もう行かないと。実は、仕事を抜け出してここに来たものですから」
『あら、今日は王子様にかかった魔法が解けてしまう日なんですね!』
「…はは。これ、言われてみると恥ずかしいものですね」
『ふふ、そうでしょう?』
思っていたよりも早く別れの時が訪れた寂しさを誤魔化すように微笑んだ。
壮五はベンチに立て掛けていた傘を取りながら、あの…とエリに向き直る。
「また、会えますか。雨が降ったら」
耳を疑う言葉に、エリの息は止まってしまった。しかし返事をする為に、なんとか肺に空気を入れる。
『また会いましょう。次の、雨の日に』