第1章 一夜目.5時限目の空
—8小節目—
甘くないのが現実
二人が学校の外で会うのは、これが初めてだった。制服以外の洋服に身を包んだ異性を見ただけで、ここまで心が躍ってしまうのかと一織は驚いた。
しかし、この感動をどう言葉にして良いか分からない。褒め言葉を事前に用意しておくべきだったと考える一織に、エリの方が口火を切る。
『制服姿も素敵だけど、いま来てる私服も一織くんによく似合ってて良いね!』
褒められたはずなのに、一織の気分が上がることはなかった。その褒め言葉は、エリの気遣いから出た言葉と悟ってしまったから。何故なら一織は、帽子にマスク、伊達眼鏡の完全変装スタイルである。顔がほぼほぼ出ていないのに、服が似合っているも何もない。
エリは、デートに誘われた時点で予想していたのだろうか。現役アイドルと、普通のデートなどさらさら出来るはずがないと。外で手も繋げない。ろくに顔も晒せない。そんな相手に、エリは文句の一つも言わなかった。それどころか、何も問題などないと屈託のない笑顔を見せている。そんな笑顔を見ていると、一織の胸はつきんと痛んだ。
やがて、二人は映画館へとやって来る。隣同士の席に腰を落ち着けてから、一織は驚愕した。映画館は、こんなにも隣の席と距離が近かったろうか。下手をすると心音が聞こえてしまうのでないかと、不安になるレベルだ。
一織は、沈黙に耐えられずエリに声を掛ける。
「ポップコーンでも食べますか?あなた好きでしょう、そういうの」
『うーん。お菓子は好きだけど、ポップコーンはいいかな。あの固くて茶色い奴が歯茎に刺さって流血したことがあってさ。血の味を感じながら映画を観る羽目に遭ったその日に、ポップコーンは食べないって誓ったの』
一織は、緊張しているのはひょっとして自分の方だけなのでは?と切なくなった。