第5章 五夜目.雨
—7小節目—
契
『今日は、日本舞踊のお稽古があったんですよ』
「あぁ、それで着物姿なんですね。僕も少しですが心得があるんですよ」
『そうでしたか!ではいつか、相舞などを舞いたいですね』
「ええ、そうですね」
嬉しそうに笑う壮五の顔からは、社交辞令の気配は感じ取れなかった。
本音か建前か。そういうことを常に考えなければならない世界で生きているエリは、彼の返答が心底嬉しい。
「でも、会えて良かったです」
『そうですよね。約束をしたわけでもないのにまた会えるなんて、少し感動しました』
不思議と、壮五の前では建前を用意しようという気さえ起きなかった。本音で語り合いたいと、こんなにも強く思ったのは初めてのことである。
「雨が、降ったから」
『え?』
「雨が降った日にここへ来れば、またあなたに会えると思ったんです。どうしてでしょう。不思議ですよね」
『たしかに不思議ですけれど、私も同じことを思ってここへ来たんですよ』
名前も知らない人とこうして言葉を交わすだけで、こうも心が穏やかになるのだろう。エリは壮五の笑顔を見ていると、全身がふわふわした。
『今日ここで会えたら、こちらを返さなければと思っていたんです』
「あっ、僕も持って来ていますよ」
そう言って二人は、互いに相手のハンカチを取り出した。
エリは、すっかり指に馴染んでしまったシルクのそれを壮五の前にゆっくりと差し出す。
返したくない。出来ればまた、持ち帰ってしまいたい。だがそんな我儘をエリは口にするはずもない。