第5章 五夜目.雨
エリは小股で、しかし忙しなく脚を動かしていた。着物を着る機会はそれなりにあるから転ぶようなことはないが、それでも気が急いてどんどん前のめりになる。
待ち侘びる気持ちが強過ぎて、永遠に到着しないのではと感じていたその場所にやっと辿り着いた。臙脂の傘を少しだけもたげると、向こう側に彼の姿をすぐに見つける。
いた!まさか本当に、いてくれた!
ベンチに腰掛ける壮五の姿が視界に飛び込んだ瞬間、エリはそう叫び出してしまいそうになった。それをぐっと堪えて、さらに勢いを強め彼との距離を詰める。
すると向こうもエリに気が付いたようで、相変わらずの優しい微笑を浮かべて立ち上がった。それを見たら、さらにエリの気持ちは逸る。逸ってしまったあまり草履の先が地面を掠め、彼女の身体は見るみる傾いた。
あっ。と思った時にはもう立ち直せる姿勢ではなく、ただ目を閉じて衝撃に備えることしか出来ない。
しかしその衝撃は訪れることはなかった。代わりに、ふわりと柔らかな感触がエリの身体を包んだ。
異性とここまで距離を詰めたのは、生まれて初めて。顔から火が出てしまったのではないかと思うほど頬が火照てった。対する壮五は冷静なもので、両腕を支えエリを立たせる。
そして、まだ体が触れ合っている状態でこんなことを言うのだ。
「綺麗ですね」
あまりにもにっこりと照れもなく言ってのけるものだから、エリの緊張も容易く解される。
『ええ、褒めてくださってありがとうございます。私も、この紋様もお色も、とても気に入っているんです』
残念ながら正しく伝わらなかったと、壮五は苦笑した。彼は “着物そのもの” を、褒めた訳ではなかったのだ。