第5章 五夜目.雨
—4小節目—
交
“ 私は、水色のお洋服が良い ”
何の変哲もないそんな気持ちを表に出せなかったとき、幼い彼女は気付いた。
自分の心が、実は磨り減っていたことに。
それは、エリが初めて社交の場へ足を踏み入れるときのこと。両親は、彼女の為にとオーダーメイドのピンク色のドレスを用意した。着る本人の要望を予め聞くことなく。さも、エリがそれを一番気に入って当然だとでもいうように。
彼女は気付いた。両親が、自分の好きな色を知らないことに。それに加えて、好きな食べ物も好きな音楽も、将来の夢も一番仲の良い友達の名前も、彼らは何も知らないのだ。
しかしそれも当たり前ではある。なぜなら、エリは自分の話をしないのだから。
エリは、両親から愛情を与えられていないわけではない。一人娘ということもあり、幼少の頃からそれはそれは多大な愛情を与えられてきた。
彼女に与える全てのものは、両親が決めた。全て独断で。それこそがエリの為になると本気で思っている。それくらい、一人娘を愛していると言い換えても良いかもしれない。
ただ、その過干渉がエリの心を少しずつ疲弊させていることに両親はまだ気付いていない。
彼女は、そんな両親に対し不平不満を抱いたことはない。こんな普通でない関係のままここまで来てしまったのは、自分にこそ原因があると考えていた。両親を、自身の心を傷付けることに怯え、本心を打ち明けられない弱い自分が悪い。
しかしだからといって、このままで良いとは思っていない。いつかはきっと、深く考えずとも本心を口にすることが出来るような関係を、両親と築きたいと思っている。どうしたらその勇気が湧いてくるのだろう。それはまだ、エリには分からない。
溜息と苦悩に塗れた日々。そんなある日のこと、その出逢いは唐突に現れる。
「急に降ってきましたからね。よければ使ってください」
こんなことを思ってしまうのは、この人に失礼かもしれない。しかしエリは咄嗟に感じてしまった。
『私より、貴方の方がびしょ濡れですよ。
はい。これで、雨を拭ってください』
彼は、自分と似た悩みを抱えているのではないだろうか。互いのハンカチを取り替えたその刹那。ほんの少しだが、心が交わった気がしたから。