第1章 一夜目.5時限目の空
—7小節目—
均衡の崩し方
もう何度目の、金曜日5時限目だろう。一織は今日も、窓際の席からグラウンドを見下ろしている。すると、いつもの時間いつもの歩幅で、いつもと同じ人物が通り掛かる。向けられる視線に気付いたエリが、笑顔で手を振って来た。彼もまた、立てた教科書の陰で控え目に手を振るのだった。
二人の関係に、あえて名前を付けるとするならば間違いなく “友達” である。しかし普通の友達とは少し違う。
彼と彼女は、実年齢よりも聡い人種であった。歳並外れた観察眼と、俯瞰で物事を捉える能力、冷静な判断力を持ち合わせている。つまり何が言いたいかというとこの二人は、相手の気持ちが自分に向いている事実に気付いている。
自分の好きな人が、自分のことを好き。それは、小さな奇跡といえよう。だが彼らは、今の関係性を変えようと積極的に動くことはしなかった。微妙なバランスの上に成り立つ今の関係に、不満はなかったから。
でも今日。その均衡がほんの少しだけ傾こうとしている。
「たまたま映画のチケットが二枚手に入ったんです。たしかあなたが以前、観に行きたいと言っていたものだと記憶しているのですが。もし都合が合えば、一緒に行きませんか」
「なぁなぁ。俺で練習台になる?俺、役に立ってる?」
「正直に言いますと、期待していたほどの効果は得られませんでした」
「だよなぁ」
一織は、映画のチケットを胸ポケットに仕舞う。明日は土曜日。出来ることなら、幸せな時間をエリと過ごしたい。その為のチャンスは、残すところ放課後だけとなってしまった。
「っつーか、誘い方がなんか回りくどくない?普通に、えりりんが好きだから一緒に映画とか観たいって言やいいのに」
「そんなにも簡単に言えるなら、男のあなたを練習台に見立てたりしていませんよ」
「どうでも良いけど、隠し通すってスタンスはやめたのな」