第7章 生まれ日の意味
新緑の木々を揺らす風が、ふわりと柔らかく吹き抜けていく。
真っ直ぐに続く田んぼ道には、青々とした草が、ゆらりゆらりと風に揺られている。
まもなく始まる田植えの季節を前に、村人達が忙しそうに田を耕しているなか、幼い信長は真っ直ぐに前を向いて歩いていた。
手習いを早々に放棄し、政秀の目を盗んで城を抜け出した信長は、母が住まう城を目指して、その小さな足で歩んでいる。
母が住む城までは、大人が馬を走らせれば容易に着ける距離であったが、小さな子供の足では、遥かに遠い。
それでも信長は躊躇わなかった。
母上が逢いに来て下さらないのなら、逢いに行けばいい。
一人で来たと聞いたら、褒めて下さるだろうか……抱き締めて下さるだろうか……
不安と期待が入り混じった気持ちで、はやる鼓動を抑えつつ歩いていると、少し前方の道の端に、野の花が群生しているのを見つけた。
「っ…わぁ…!」
真っ白な花弁が風に揺らめいている。
花の名など知らなかったが、自然と手が伸びて手折っていた。
一本、二本、と夢中で摘んでいくと、あっという間に両手が一杯になった。
そっと鼻を近づければ、甘いいい匂いがする。
(たくさん摘んだと、母上は褒めて下さるだろうか……喜んで下さるだろうか……)
白い可憐な花束の裏に、母の笑顔を思い浮かべる。
けれど…信長は、想像の中の母の笑顔しか知らなかった。
母の笑顔が、自分に向けられたことはなかったから。
母はいつも、困ったような顔で黙って信長を見ていた。
(俺は母上を困らせているのだろうか…俺の存在そのものが)
母の傍らにはいつも、弟の勘十郎がいて、屈託のない笑顔で母に甘えていた。それが当たり前…といった風に。
(母上の笑った顔が見たい…自分に向けられる笑顔を…)
まだ見ぬ母の美しく微笑む顔を想像しながら、花束を手に再び歩き出した信長の足取りは軽かった。