第37章 貴方の傍で
急な抱擁にどうしていいか分からず腕の中で身悶えていると、信長様は私の耳元に唇を近づけ、くくくっ、と愉しそうに笑い声を上げるのだった。
「の、信長さまっ…?」
「貴様のその愛らしい顔をこのようにすぐ傍で見られるだけで俺は満足している。他には何もいらん」
甘い囁きを耳奥に直接注がれて、耳朶を柔らかく喰まれる。
「んっ…でも…」
そうは言われても、やはり愛しい人のために何かしたい気持ちは捨て切れなくて…
「本当に…何もないのですか?欲しい物じゃなくても、やりたいこととか、して欲しいこととか、何でもいいんですよ?」
「ふむ…貴様にして欲しいこと、か…ふっ…本当に何でもいいのか?」
「えっ…あっ…はい…?」
ニヤリと口の端を上げて意味ありげな笑みを浮かべる信長様は、楽しい悪戯を思い付いた子供のようだ。
(何でも、なんて、ちょっと言い過ぎたかな?恥ずかしいお願いとかだったら困る…)
信長様の愉しそうな様子を見て若干不安になり、胸の奥がざわざわと落ち着かなくなるが、当の信長様は何事か思案するかのように少しの間黙考し、やがて……
「そうだな…ならば貴様が南蛮語を学んでいるその本、訳し終えた暁には、それを俺に一番に読み聞かせよ」
「えっ…読み聞かせ?…そんなことでいいんですか??」
信長様の口振りからもっと困ったお願いを言われたらどうしょうと内心身構えていたので、本の読み聞かせを所望されるとは正直意外だった。
戸惑った表情を浮かべて問い返す私に信長様は鷹揚に頷いてみせる。
「あぁ、貴様の膝枕でな」
「ええっ…」
『膝枕で本の読み聞かせ』
天下人のお願いは何とも可愛らしいお願いだった。
陽だまりの中、私の膝を枕に本の朗読にゆったりと耳を傾ける信長様を想像すると何とも幸せな気持ちになる。
信長様なら、この本などきっとご自分でも容易に読めるはずなのに、二人で一つのものを楽しむ時間を提案して下さったことが嬉しかった。
愛しい人と過ごす穏やかで満ち足りたひと時は、きっと何にも代え難いものになるはずだ。
「信長様」
「ん?」
「お誕生日、楽しみにしていて下さいね」
信長様に喜んで貰えるように…南蛮語を学ぶ新たな目標ができた私は愛する人の生まれ日を心待ちにするとともに、決意を新たにするのだった。