第5章 信長の初恋
信長は菜津を連れて、美濃との国境にある、あの丘の上に来ていた。
初めて馬に乗った菜津は、その背の高さに最初こそ怯えていたものの、馬が風を切って走り出すと、その心地よさに徐々に笑顔を見せるようになった。
信長はそんな菜津を見て、満たされた気持ちでいっぱいだった。
初めて自分を受け入れてくれた存在
愛しいと抱き締めれば、抱き締め返してくれる存在
「菜津っ…」
「三郎様っ…」
手を差し伸べれば、固く握り返してくれる暖かい手。
(こんなに暖かい手を俺は知らなかった……)
青々と生い茂る草の上に、二人して寝転がると、爽やかな風が吹き抜けていく。
少し小高いこの丘の上は、夏だが爽やかな風を感じられる場所だった。
「三郎様は、ここへはよく来られるのですか?」
「あぁ、ここからは尾張も美濃も見える。どちらも小さな国だ。小さな国同士が争って、得られたものは何もない。
…お前や、お前の姉さん、村の者…いつもいつも無辜の民が戦の犠牲になる。
俺は…そんな愚かな争いを終わらせたいんだ」
「三郎様なら、きっとお出来になります。貴方は、お優しくて慈悲深い方です。私は…三郎様を信じています」
菜津は知っていた。
信長が、うつけと罵られながらも毎日野山を駆け回り、川で泳ぎ、民百姓と一緒になって田畑に入っていた理由……それは全て尾張の国を守るため、民百姓を守るため、だった。
国の地形、川の流れを知り、来るべき戦に備える。
民百姓の暮らしを知り、共感し、不平不満を吸い上げる。
信長はそれを書物で学ぶのではなく、自分の目で、自分の耳で、自分の力で知ろうとしていたのだ。
この方ほど、思慮深く物事を考えられる方は他にはいない。
「菜津っ…俺とずっと一緒にいてくれ。お前がいれば、俺は…」
「っ…三郎様っ…」
三郎様のお傍にずっといられたら、どんなにいいだろう。
お優しい若様
好きだ、お前が必要だ、と言ってくださる。
けれど…三郎様は織田家の御嫡男、いずれは家督を継いで、どこかの大名の姫様を妻になさるのだ。
その時、私は三郎様のお傍には、いられない……
胸が苦しい
大好きな人が隣にいて、自分を求めてくれているのに……こんなにも、胸が痛いなんて……