第37章 貴方の傍で
政宗には見栄を張ってみたものの、私の南蛮語の勉強はその後も思うように進まず、どうにも行き詰まってしまい…結局、人に教えを乞うことにしたのだった。
「あの、姫様、大丈夫でしょうか?勝手にお城を出てきてしまっては信長様からお叱りを受けるのでは…」
黒金門を潜り、城下へと続く大手道をともに歩みながらも千代はチラチラと何度も後ろを振り返り、不安そうな顔で空高く聳える天主を仰ぎ見ている。
「大丈夫よ、千代。別に勝手に出てきたわけじゃないし。三成くんに紹介してもらった方のところへ行くだけなんだからね」
今日は先日三成くんに案内してもらった城下の書物屋へ行くつもりだった。
後から聞いた話だが、異国の書物を多く取り扱っている書物屋は概ね仕入れた書物を日ノ本の言葉に訳してから販売することが多く、店には異国の言葉が分かる者がいるそうだ。
南蛮語の勉強に苦戦する私を見かねた三成くんの計らいで、件の物語を訳すのを書物屋の方に手伝ってもらえることになったのだ。
「何も姫様がご自分でなさらずともよろしいのに…いっそ全てお任せなさったら如何ですか?」
「私が自分でやりたいんだからいいのよ。お店の方にはかえって手間をかけさせてしまうけど…やると決めたからには簡単に諦めたくないの」
「姫様らしいお考えですけど…」
面と向かって反対はしないが、千代は些か不満そうに言葉を濁す。
幼い頃から仕えてきたので朱里の一度決心したら並大抵のことでは諦めない頑なな性格は分かっているつもりだ。
大名家の姫としては些か珍しい好奇心旺盛な性格も微笑ましく、傍でずっと見守ってきた。
それでも千代にしてみれば異国の文化や言葉などは全く未知のものであり、それを自ら習得しようとするなど途方もないことにしか思えないのだった。
(安土では異国の者との交流も盛んだと聞く。城下も珍しいものが溢れていて、最近では京の都よりも賑わっているともっぱらの噂だし…本当に小田原とは何もかもが違っていて日々戸惑うことも多い。それに姫様がまさかあの信長様と恋仲になられるなんて…)
安土に来たばかりの頃は、見知らぬ土地に連れて来られた人質のようで周りにもなかなか馴染めずにいたが、誰に対しても表裏なく接する朱里の誠実さは織田軍の武将達や城で働く者達にも次第に好意的に受け入れられ、今では天下人である信長の寵愛をも受ける立場になった。
