第5章 信長の初恋
「三郎様っ!こんなところにおられたのですかっ!ああ、またそんな、だらしない格好で…菜津、早く若のお召し替えを致せっ!」
「は、はいっ…平手様」
こうなっては仕方がない。
信長は心の中でチッと舌打ちし、この後の憂鬱な時間を思い、うんざりした気持ちになっていた。
末森城で暮らす父と母が、久しぶりに自分に会いに来る。
どうせまた長々とした説教を聞かされるのだろう。
父は、俺の行動に一定の理解を示してくれてはいるが、とにかく厳しい。
母は、俺よりも弟の方が可愛いらしく、俺には無関心だ。
優しい言葉の一つもかけられたことはない。
そんな、家族の団欒とは程遠い時間を過ごすのが苦痛で、城を抜け出そうとしたのだが、菜津の悲しげな顔を見たら、一歩踏み出せなかった。
「はあぁ〜」
信長は、自室の畳の上で大の字になり、じっと天井を睨みつける。
父母との対面は、想像どおりのものだった。
父からは厳しく叱責され、母は黙って俺を見るだけ、じいは必死になって俺を庇ってくれるが、家老達からは冷たい目線を向けられる。
全くつまらない…無駄な時間だった。
「…若様っ、失礼致します…」
開け放った部屋の入り口で、遠慮がちにかけられた声に、信長はいきなりがばっと身を起こす。
「菜津っ!」
「っ…わっ!起きておられたんですか…あの、着替えを…」
言いながら室内を見回した菜津は、脱ぎ散らかされた着物や袴を見て顔を赤らめる。
信長は、父母との対面時に無理矢理着せられた正式な着物をさっさと脱いでしまい、今は上半身裸、下帯一つのあられもない格好になっていた。
「わ、若様っ…着替えて下さい、これ…」
菜津は、顔を伏せて着替えを信長に押し付ける。
普段から肌を曝け出した格好で彷徨いている信長だったが、こうも面と向かって恥ずかしがられると、逆に居た堪れなくなってしまい、慌てて着替えを身に付けた。
室内に何となく気まずい雰囲気が漂う中、信長はふと何か思い出したように文机の前へ行き、その上に無造作に置いてあった懐紙包みを掴むと、ずかずかと菜津の前へと歩いていった。
「………やる」
「えっ?」
呆然とする菜津の手を取って、その手のひらの上に懐紙包みをぽんっと乗せる。
そっと開いてみると、中には色とりどりの小さな干菓子が幾つも入っていた。