第5章 信長の初恋
恒興に連れられてやってきたのは、尾張の端、隣国の美濃国との国境に位置する、小高い丘の上だった。
(こんなところに若が…?美濃との国境など…危ういではないか…)
美濃国は、一介の油売りから城持ち大名にまで成り上がった、斎藤利政(のちの道三)が治める山深い国である。
尾張は美濃と長年に渡り戦を続けており、大殿信秀様をもってしても、いまだ美濃を獲ることは叶っていない。
勝ったり負けたりの戦を繰り返しているのだ。
織田家の外交を担う政秀は、尾張から美濃へ間諜を送り込み、日頃から情報の収集に当たっているが、その逆もまた然り、美濃からも間諜が入っているに違いなかった。
(あるいは既に刺客が入り込んでいるやもしれん。若の素性が知れるようなことになれば…一大事だ)
山道を登り、開けた丘の上に出て辺りを見回すと、草の上に寝転がる少年の姿があった。
青々と生い茂る草の上で、ふわふわした茶筅髷が風に揺られている。
少年は眠っているのだろうか…大の字に寝転がったまま身動き一つしないでいる。
起こさぬように足音を消して、そっと近づいていくと、あともう一歩、というところで、
「……じい、よくここが分かったなっ」
眠っていると思っていた少年が、いきなりガバッと身を起こし、政秀に向かってニッコリ笑った。
日輪が照らすような、輝くばかりに眩しい笑顔だった。
「若っ!貴方はまた…。勝手に城を出てはいけません、と、爺はあれほど申し上げましたでしょう?
お一人でこのようなところにまで…危のうございますっ!」
日輪のように輝く笑顔は、苦虫を噛み潰したように一瞬で歪む。
「分かった、分かった。じいのお説教は、聞き飽きて耳にタコが出来るわ」
「三郎様っ!」
政秀の苦言に、指先で耳を穿る仕草を見せていた信長は、不意に真面目な顔になり、目の前に広がる美濃の平野をじっと見つめる。
「じい、尾張は小さい。この俺が、一人で容易く国境まで来れるぐらいに、な。
美濃もまた小さな国だ。
小さな国同士が、何年にも渡る不毛な戦を続けて、一体何が得られるというのだ。
田畑は荒れ、民百姓は無駄に命を落とすだけだ。
それが分からぬ親父は……愚かだ」
「っ…三郎様…」