第34章 依依恋々
『手につみていつしかも見む紫のねに通ひける野辺の若草』
(手元に置いていつになったらつくづくと見ることができるだろう。細やかに会うことができるだろう。あの御方に繋がりのあるこの幼き少女は本当に私の期待どおりに育ってくれるだろうか)
『源氏物語 五帖 若紫』より※※※※
十八歳の源氏は病に苦しみ、加持祈祷を受けるために北山の地を訪れていた。そこで、由緒ありげな僧都の家で可憐な少女(紫の上)を垣間見て一目で心を奪われる。十歳ぐらいのその少女は源氏が密かに恋い焦がれる藤壺の宮によく似ていた。藤壺の宮は父帝の后であり、源氏にとっては継母にあたる女性だった。
母を失い、祖母の尼君に育てられているこの少女は藤壺の宮の兄、兵部卿の宮の娘であるということだった。源氏は藤壺の宮の姪にあたるこの少女を自らの手で理想の女性に仕立て上げたいと思い、少女を引き取りたいと僧都や尼君に熱心に懇願するが、少女の年齢がまだ幼いこともあり、受け入れられない。それにも拘らず源氏は、病から癒え下山した後も少女に執心し、尼君が亡くなり寄る方がなくなった少女を強引に攫って自身の邸宅に囲い込んでしまうのだった。※※※※※※
「源氏物語の『愛』は『形代の愛』とも言われています。源氏物語の男達は手に入らない愛しい人の『身代わり』を愛するのです。添い遂げられなかった女の身代わりとして似た容姿の女を求め続ける男と身代わりとしての自身に苦しむ女の苦悩が繰り返し描かれているのです」
「形代の愛…」
(誰かの代わりに愛されるなんて。愛する人が自分を通して自分じゃない誰かを想っているなんて耐えられない。それでも、たとえ形代の愛だったとしても好きな人の傍にいられて愛を感じられるならそれは幸せなのかしら…)
源氏は紫の上に藤壺の宮を重ねながらも彼女を大切に思い、数多の女性と情を交わしながらも紫の上を最も深く愛した。死期を悟った紫の上が出家を願っても頑なに許さず、亡くなった後は深く嘆き悲しんだ。
愛のかたちは様々であり、物語が書かれた当時も今も男が複数の妻を持つことは一般的であり、紫の上という最愛の人がありながらも源氏が多くの女性と関係を持ち続けたことは、殊更不誠実というわけでもなかった。
それでも自分がもし紫の上と同じ立場だったなら、彼女のように毅然としていられるだろうか、と朱里は密かに思い惑うのだった。