第34章 依依恋々
賑わう大通りを並んで歩く母娘を少し離れた路地から密かに見守る男の影があった。
上質な漆黒の羽織を纏った男は鋭い視線を逸らすことなく前方を見つめていたが、何かに興味を惹かれたらしい娘が母の手を離れて一人小走りになったのを見て微かに身を揺らした。
(っ……)
思わず前のめりになり路地から身を乗り出しかけたが、寸でのところで出しかけた足を止める。
些細なことでらしくもなく動揺する自分を内心可笑しく思いながらも、二人からは一瞬たりとも目を離すことはできなかった。
遠目からでも初めての京の街並みにはしゃぐ娘の興奮が伝わってきて、男は微笑ましさと同時に何とも言えない歯痒さも感じてしまうのだった。
(あのような顔が見られると分かっていたら、もっと早くに俺が連れて来てやっていたものを…)
信長は楽しそうに笑い合う朱里と結華、二人を傍で見守る慶次を複雑な思いで見つめる。
出立の日、視察の予定を入れて見送らなかったのはわざとだった。
顔を合わせれば大人げなく引き止めてしまいそうな気がして、忙しさを言い訳にして碌に話もしてこなかった。
それでも気になって仕方がなく…視察の予定を驚くべき速さで終わらせた信長は、秀吉の反対を押し切ってその足で京へと向かったのだった。
「御館様!そのように身を乗り出されては…」
今にも路地から飛び出さんばかりの主の様子に肝を冷やしながら秀吉は遠慮がちに信長を諌める。
「煩い。秀吉、貴様、何故ついて来た?先に大坂へ帰れと言うたであろうが」
いちいち隣で小言を言われては敵わんとばかりに信長は秀吉をじろりと睨む。
「なっ…御館様を置いて先に帰るなど、できる筈もございません!この秀吉、何があろうとも御館様のお傍におります!いや、まぁ、しかし、まさか本気で京へ向かわれるとは思いませんでしたが…」
早々に視察の予定をこなし、そのまま帰城されると思っていたら突如進路を変えられたのには驚いた。慌てて供回りの者を帰し、秀吉だけは付き従ったが、京に着いた信長が朱里をこうして影からこっそり見守るつもりとは思わなかった。
(てっきりすぐに合流されるものと思ってたんだが…まぁ、こうして身を潜めている方が目立たずに済むか。京の町衆にも御館様の顔を知る者は多いからな)
近頃は朝廷からの要請で頻繁に上洛しているため、京でも信長を知らぬ者は少なくなっているのだ。