第34章 依依恋々
「信長様、お茶をお持ちしました」
何とか会話の糸口を見つけようと思い、執務中の信長様へお茶を持って行き、襖越しに遠慮がちに声を掛けた。
「…………入れ」
一瞬の沈黙の後で告げられた入室の許可の声に、僅かに緊張を覚える。低音の深みのある声色はいつもと変わらないが、沈黙の間から微かな躊躇いが感じられたからだ。
そっと襖を開けて室内に入ると、手元の書簡に視線を落としたままこちらを見ようとしない信長様と、そのお傍に控えながら気まずそうにこちらを窺う秀吉さんの対照的な姿が目に飛び込んできた。
(いつもなら手を止めて何かしら声を掛けて下さるのに…)
「信長様、あの…」
「しばし待て」
「……はい」
手元の書簡に集中されているからだろうが、冷たく突き放すような言い方に聞こえてしまいドキッと心の臓が震える。
それでも言われたとおり黙って入り口の辺りで控えていると、信長様は書簡を指し示しながら秀吉さんに指示を出し、秀吉さんはすぐさまそれをさらさらと紙に書き留めていく。
(今日もお忙しそうだな。お仕事の邪魔はしたくはないけど…)
邪魔になってはいけないと思うと、息遣いや衣擦れの音にも気を遣う。待つ時間は実際は大した時間ではなかったが、気持ちの上ではひどく長く感じられて次第に俯きがちになってしまっていた。
「……朱里、待たせて悪かったな。茶の用意、ありがとな」
はっとして顔を上げると、秀吉さんがにっこり笑ってお茶の乗った盆に手を掛けていた。
「あっ…ごめん、秀吉さん。ぼんやりしてしまって。私がやるからいい…あっ…」
盆を持とうとする秀吉さんを慌てて制止しようとするが、その前にさっと取り上げられてしまう。
慣れた手付きで信長様にお茶を出す秀吉さんを手持ち無沙汰に見つめるしかなかった。
「あの、信長様、お話が…」
茶を一口飲んで一息吐かれたところで声を掛けると、信長様はチラリと上目遣いに私を見た。
「……何だ?」
「先日お話した連歌会のことなのですが…私、やっぱり京へ行きたいのです。お願いします、信長様。京へ行くこと、お許しいただけませんか?」
「朱里っ!」
一気に言い切った私に秀吉さんが慌てて声を上げる。