第34章 依依恋々
驚いた拍子に桃の実は手放してしまったが、熱い舌がねっとりと指先に絡みつき、嬲るように舐め回してくる。
離れようと身を捩るが、腰を強く抱き寄せられていて離れられない。ぴちゃぴちゃという湿った水音がやけに大きく響くなか、されるがままに身を委ねるしかなかった。
「の、信長さまっ…もう…やめ…っ、あっ…」
天主の廻縁とはいえ一応は外なのに思わず甲高い声を上げてしまい、空いている方の手で慌てて口元を押さえる。
「っ、ふっ…」
(さっきの口付けだけでも蕩けそうだったのに、こんな風にされたら…)
指先から火が灯ったように次第に熱くなっていく身体に躊躇いながらも、与えられる熱に抗うことなどできなかった。
ちゅぷっ…と淫美な水音を立てて信長様の濡れた唇が離れていく頃には、私はすっかり力が抜けてしまっていた。
「んっ…はぁ…」
「甘くて美味い。極上だった」
信長様は何事もなかったように口の中に残った桃の実を咀嚼し、満足そうな笑みを浮かべる。
私はといえば、濃厚な口淫にすっかり酔ってしまったようで頭の中がふわふわしていた。
(あぁ…頭が回らない。今宵は色々とお話したいことがあったのに…)
「どうした?……本当に酔ったのか?」
酔いが回ったせいだろうか、目蓋も重くなり、信長様の腕に身を委ねたままで次第にうつらうつらし始める。
耐えなければと思いながらも、揺れる身体を抑えられなかった。
「のぶながさま…」
悩ましげな吐息を吐いてくったりとした身体を預けてくるのを支えながら、信長は朱里の顔をそっと覗き込んだ。
「ふっ…他愛ない」
胸元に凭れかかったまますぅすぅと小さな寝息を立てる朱里を起こさぬように、信長は彼女の濡羽色した艶やかな髪に口付ける。
(少し揶揄いすぎたか。今宵はもう少し共に楽しみたかったが…)
幼な子の手が少しずつ離れて、夫婦二人だけの時間が戻りつつあった。共に酒を酌み交わし、日々の何でもない話をして過ごす夜。
春宵一刻直千金 しゅんしょういっこく あたいせんきん
花有清香月有陰 はなにせいこうあり つきにかげあり
春の夜は、ひとときでも千金の値があると思えるほど素晴らしい。
花は清らかに香り、月はおぼろに霞んでいる。
春の夜は決して長くはないが、愛しい女と共に過ごすひとときは何にも代え難いと思えるほどに尊いものだった。