第32章 専属女中は愛されて
「これは……」
風呂敷包みの中には丁寧に畳まれた着物が入っていて、信長様が包みを開いた瞬間、微かだがふわりと良い香りがした。
「これって…丁子染め、ですか?」
鈍い黄赤の深みのある色合いには見覚えがあった。城下への視察の折に見た、この地の特産の染物である『丁子染め』の反物でその着物は作られていたのだ。
「深みのある落ち着いた色合いは貴様に良く似合う。派手さはないが、上質な良い仕立てだ。今宵はこれを着て俺の隣にいろ」
「どうしてこれを…」
信長様が私のために着物を用意して下さっていたことにも驚いたが、城下で一緒に見た丁子染めの反物を選ばれたことも不思議だった。
「貴様は見た目が煌びやかな錦の打掛も似合うが、こうした落ち着いた色味のものを身に付ける方が派手に着飾るよりも貴様の美しさをより惹き立てる」
「う、美しさって…」
さらりと言われた褒め言葉に恥ずかしくも反応してしまう。
「朱里、貴様は美しい。見目の麗しさだけでなく、その心根が誰よりも美しい。大名家の姫でありながら女中として俺のために尽くそうとする健気な貴様が俺は愛おしい」
「それは…そんな風に言っていただくようなことでは…私はただ、信長様のお役に立ちたかっただけですから」
「ああ、十分に役に立った。だから今宵は女中の役目は終いにして貴様も宴を存分に楽しめばよい」
「でも…」
それではこのお城の人達に何と説明すればよいのだろうか。
(女中として受け入れてもらってたのに実際は信長様の恋仲の姫でした…なんて、絶対気を遣わせちゃうよね…)
最後の最後で真実を話すことは、滞在中に親しくしてくれたお城の人達を裏切るようで心苦しかった。
「心配はいらん。貴様の立場については既に説明してある。まぁ、薄々と勘づかれていたようではあったがな」
「ええっ…」
私の心の内の葛藤を見透かしたように、信長様はニッと口角を上げて悪戯っぽい笑みを見せる。
(もぅ…敵わないな、この方には。最後まで甘やかされてばかりだ)
女中の自分が宴に出られないことは理解していたが、信長様の隣にいられないことが本音を言えば少し寂しかったのだ。
「ありがとうございます、御館様。嬉しいで…っんっ!?」