第30章 愛の証し
町の者達が噂する声が聞こえていないはずはないと思うが、当の信長は素知らぬ顔で往来を堂々と歩いている。
皆の好奇に満ちた視線を受けて落ち着かないのは、今日は護衛として信長の傍に控える秀吉であった。
(あぁ…皆にはやはり気付かれてしまったか?そりゃ、そうだよなぁ…あんなに目立つところにあんなにはっきりと…)
「…何だ?秀吉」
悩ましげに眉を顰めて信長の様子を窺おうとした秀吉は、間が悪いことにジロリと此方を睨む主人の深紅の瞳と目が合ってしまった。
「い、いえ、な、何も…お、御館様、その、お、お寒くはございませんか?あの、え、襟元をもう少し詰められては…?」
時すでに遅しかもしれないが、少しでも民達の目に付かぬようにと願うばかりの秀吉は、無駄かと思いながらも信長に提案してみるのだが、そんな秀吉の努力も虚しく……
「いや、寒くはない。寧ろ暑いぐらいだ」
ニヤリと意地悪く(秀吉にはそう見えた)笑った信長は、わざとらしくグイッと着物の襟を引いてみせるのだった。
(あぁっ…)
不自然なほど肌けた信長の襟元の色気溢れる様子に、見ていた町の女達から黄色い声が上がる。
「男らしくて素敵だわ」
「あんなに堂々と見せつけられるなんて、妬けるわね」
「一体どんな方かしら?信長様のお相手の姫様って」
女達の興味津々の視線に対しても、信長は余裕たっぷりに微笑んでみせる。
いつの間にか安土城下は信長に口付けの跡を残した『お相手』の話題で持ちきりになっており、秀吉の切実な願いとは反対に大いに盛り上がりを見せていた。
(口付けの跡一つでとんだ大騒ぎになっちまった。これでは御館様の威厳をお守りするどころではない。朱里のことも変な噂が広がっては…)
「くくっ…」
頭を抱える秀吉を密かに横目で見ながら、噂の当人である信長は秀吉に聞こえぬように小さく笑いを溢すのだった。