第30章 愛の証し
信長が特定の女子と深い仲にならぬようにしてきたことは知っている。
これまで、信長の傍に侍るのは男としての欲を発散させるためだけのその場限りの後腐れのない相手ばかりであった。
事が終わればそれまで、同じ女子と再び関係を持つことはない。
だが近頃の信長は違う。
朱里と出逢ってからは、夜ごと彼女を天主に召して共に夜を過ごし、そのまま朝まで共寝するということが当たり前になっている。
常に暗殺の危険と隣り合わせの日々を過ごす信長が他人と共寝するなど、秀吉は最初に見た時は俄かに信じられなかったのだが…
朱里は相模国を治める北条家の姫だが、織田と北条が同盟を結ぶにあたり、信長が安土へと連れ帰って来た女子だった。
ひと目で気に入ったのだろうか、半ば強引に拐うようにして安土に連れ帰り、いつの間にやら互いに求め合うような関係になっていたようなのだが、信長がまさかこれ程に一人の女に執着を見せるようになるとは、長らく傍に仕える秀吉にも意外だった。
(以前なら女との情交の痕跡を残すような真似は決してなさらない御方だったのだが…朱里と出逢ってから御館様は随分と変わられた。最近では人目を憚ることもなく朱里に触れられたりもするが…そうは言っても公私の別は弁えておられる御方だ。公の場で乱れた姿を見せられるなど考えられないが…もしや気付いておられぬのか?それならばお伝えすべきだが…っ、いや、何と言えばよい?俺が御館様にご注進申し上げるなど畏れ多いしなぁ。いや、そもそもあのような艶めかしくも大胆な情事の『跡』を淑やかで控えめな朱里が御館様に付けるとは…一体どんな風に…)
安土に迎えてからというもの、何かと細々と世話を焼いては実の妹のように可愛がっている朱里の『女』の部分を垣間見てしまったようでどうにも落ち着かない。
朱里が信長の寵を受ける存在になったことは、まだ一部の者の間にしか広まっていない。
(あんな大っぴらに見せつけるように跡を残すなんて、わざとなのか無自覚なのか、どっちなんだ!?)
様々な想像が過ぎり悶々とする秀吉であったが、事は主君の閨事情に関することであり、軽々しく口にすることは憚られたのだった。