第29章 第六天魔王に愛を捧ぐ
「まぁ、そう言うな。誰しも好物の一つぐらいはあるさ。好きな物を好きなだけ食せる、これに勝る贅沢はないだろう。誕生日ぐらいは信長を楽しませてやろうじゃないか」
「くだらん。誕生日など意味のないことを…」
「謙信様の誕生日には、俺が壺いっぱいの梅干しをご用意します」
心底くだらないと言いたげに否定の言葉を言いかけた謙信を遮るように佐助が言う。
「……………」
「よかったな、謙信。忠義深い部下を持って」
ニヤニヤと愉しそうに笑いながら顔を覗き込んでくる信玄から、謙信は煩わしそうに顔を背けた。
「全く…信玄、お前は生温いことばかり言うな。そんなだから勝負にも負けるのだぞ。分かっているのか?」
「う〜ん、そうだなぁ」
謙信の厳しい視線にも動じることなく相変わらず美味しそうに饅頭を口に運ぶ信玄を佐助は微笑ましい気持ちで見ていた。
(信玄様が秀吉さんに勝負を申し出た時はどうなることかと思ったけど、あんな勝負になるなんて…信玄様らしいな)
はたして信玄が秀吉に申し出た勝負とは……
『どちらが早く、この店に多くの客を呼び込めるか』
信玄が提案した勝負は、人誑しと名高い秀吉にぴったりな何とも平和的な勝負だった。
「客は男でも女でもいいぞ。ま、俺は野郎には声は掛けないけどな」
冗談っぽく言いつつも、実際に信玄が連れて来たのは若い女子ばかりで、対して秀吉の方にはその人好きのする性質そのままに老若男女、様々な人々が集まっていた。
当然ながら勝負は秀吉の方に軍配が上がったのだったが……
「ありがとうございました。お武家様方のおかげで今日は思わぬ繁盛で…なんとお礼を申し上げたらいいか…」
店主は信玄達に向かって深々と頭を下げ、恐縮しきりである。
勝負に勝った秀吉は壺を金平糖でいっぱいにして一足早く安土への帰路についており、この場には信玄達だけが残っていたのだった。
「大したことはしていないさ」
ふっ…と笑った信玄は安土のある方角を見遣って表情を緩めた。
(己のために必死で駆け回ってくれる者がいるというのは幸せなことだぞ、信長)
「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇(あだ)は敵なり、ってな」
「信玄様?」
「さぁて、帰るぞー!今頃、幸が一人で寂しがってるからなぁ」
いつの間にか陽は西の方角へと傾き始めており、空は淡く橙色に染まりつつあった。