第60章 茜が沈む、緋(あけ)が昇る ✴︎✴︎
『朝か……』
外がまだ薄暗い中、杏寿郎は目を開ける。寝ぼけ眼が段々と目の前にいる七瀬の顔に照準が合った。
初めて結ばれた翌朝の時のように。
けれどほんの少しだけ疲労の色を滲ませた彼女の顔。頬に手を伸ばし、柔らかく弾力が感じられるそこにそうっと触れてみれば、恋人は口元に笑みを浮かべる。
杏寿郎の胸に優しく、愛おしい気持ちと申し訳ない気持ちがゆっくりゆっくり、波紋のように心の中へ広がっていく。
『すまんな、大分無理をさせてしまった……』
眉を八の字に曲げ、昨夜の自分の強欲を少し反省していた時、ん…と七瀬の眉毛が少し動く。
『ここはいつぞやと同じように……』
杏寿郎は素早くその双眸を閉じた。
「やっぱり、寝顔かわいいなあ」
今度は七瀬が目を開ける。目の前の恋人が既に起きているとは気づいてないようだ。
小さな両手を杏寿郎の頬にそうっと当てる。
『何で顔だけじゃなく、肌まできれいなんだろう。毛穴なんて一つも見当たらないし……』
ずずいっと彼の顔のすぐ近くまで自分の顔を近づけてみる。
『まつ毛も本当に長い。この毛束羨ましいな』
1人ふふっと笑っていると、彼女の目の前から低音の囁きが届いた。
「七瀬、忘れたのか。かわいいは男に言う言葉ではないぞ?」
「んっ……」
杏寿郎はぱちっと日輪の双眸を開けると、七瀬の唇に吸い付いた。
目覚めの口付けと言うには程遠い、やや強めの言葉なき挨拶だ。
啄み、歯列を余す所なく舌でなぞり、それが終われば彼女の舌と自分の舌を絡ませる。
1分間それは絶え間なく続き、ちう……と唇同士が離れた時、七瀬の顔は火照っていた。
「おはよう」
「おはよう、ございます……」
「かわいいと言う形容は今の君に最もふさわしいと思うが」
杏寿郎は彼女の左頬をひと撫でし、また1つ口付けを贈る。