第36章 満つ
安心を求めて皐月を抱きしめている僕の耳に
草を踏む音が届いた。
それにすら構わずにいると、
「悪ィ睦月。まだ寝てるかと思ってた」
申し訳なさそうな声がする。
「目ぇ覚ましたら皐月がいなくて
慌てたクチだろ?」
声が近くなった。
目を開くと、足元に
しゃがんだお父さんが目に入る。
「生きた心地がしなかった」
皐月を抱っこして
やっと戻って来た感覚に
涙が溢れそうになるのを必死に堪えた。
さすがに、皐月の前では泣きたくない。
「だよな。わかる」
しみじみと頷くお父さん…
何か、似たような事があったのかもしれない。
「皐月…どっかいかないでよー…」
小さな体をぎゅうぅっと抱きしめながら
祈るように言うと
皐月も何か感じるものがあったのか、
きゃっきゃと笑っていたのに
急におとなしくなって
僕の方をジッと見つめた。
そこで初めて気がついたように、
「おとう、ににいきてるわ」
恐ろしい事を口にする。
どーいうコト⁉︎と顔を上げると
お父さんと目があった。
心なしか憐れみを感じるのは
気のせいだろうか…
「当たり前ぇだろ。言ったろうが。
寝てるだけだって」
死なれてたまるかっての…
という呟きは皐月には届いていないようだった。
「うん!」
…なんの話しなのか全く見えない。
その思いを込めてお父さんを見上げると、
「睦月、『もしもし』って何の事かわかるか?」
唐突に質問が飛んでくる。
「もしもし…?」
「皐月の言う、『もしもし』ってなーんだ」
……
「お医者様」
「知ってんのかよ」
悔しそうにお父さんは吐き捨てる。
……何を言っているのだろう。
「俺はちっともわからなかった。
そうなんだよ、医者の事なんだとよ」
「知ってるよそんなこと。
それが何なの?」
「お前、皐月寝かしつけてて
一緒に眠りこけたろ」
「う……ごめんなさい…」
自己嫌悪に陥った僕とは裏腹に、
「いやいや、なんも悪くねぇ」
お父さんは何も気にしていないように
あっけらかんと言った。
「皐月が先に目ぇ覚ましたんだなぁ。
それで、お前のこと、起こしたんだとよ」