第36章 満つ
「ひゃーははは!」
皐月もまったく怖がる様子はなく、
むしろただただ大喜び。
小さい頃の僕だったら、
こんな事されたら絶対に泣いていただろう。
皐月はすごい。
ブーンと言いながら
皐月を飛ばし続けていたお父さんは、
ふと何かに気がついたような顔をして
突然飛行機をやめてしまった。
皐月はまだ笑っていたけれど
僕には違和感しか残らなかった。
皐月があんなに喜んでいたのに、
なぜ途中でやめてしまったのか。
…そんなの、
理由はひとつしかなかった。
「あれ?天元帰ってる…」
お母さんだ。
「あぁ、ただいま」
何事もなかったかのように
しれっと笑顔を作る辺り
ほんと恐ろしい。
「荷物は?」
「もう置いて来たよ」
「わ、ありがと」
僕の知らない所で
何かお父さんに対する頼み事があったのだろう、
それが完了しているとわかったお母さんは
にこっと嬉しそうにして
お父さんの腕に抱えられた皐月を見つけると
「皐月いいねぇ、お父さんとお遊び?」
何気なく訊いた。
…のに、
「うん!ぶーんって!ぐるぐる!」
皐月はさっきしたばかりの
お父さんとの約束をすっかり忘れている…
というよりも、
やっぱりわかっていなかったのだ、きっと…
「へぇ…?」
窺うように覗き込まれたお父さんは
にこっと笑って誤魔化すけれど、
「…いいのよ別に。
皐月が楽しくて、
天元が落とさないなら」
お母さんはそんな事を言い残し
踵を返した。
……お母さん、知ってるんじゃない?
危ない遊びを、お父さんがしてること…。
「…知ってんのかい」
お父さんも同じ事を思ったようで
はぁあっと大きなため息をついた。
…お母さんの方が1枚上手だったようだ。
お父さんの情けない所を見るのが
僕は割と好き。
だってお父さんにも
敵わないものがあるって思うと
ちょっと安心するから。
アラを探したいわけじゃなく…。
人間なんだなって、思えるから。
「おとう、もっとー」
せがむ皐月に、
「…俺、睦に怒られたくねんだけど」
複雑な表情で、
それでも皐月の願いを叶えてあげるのだった。