第36章 満つ
僕は、この人の弱音を初めて聞いたかもしれない。
涙を拭うのも忘れて
隣に座っている大きな人に見入ってしまった。
「痛みに耐えてるのを、
ただ見てるしかねぇなんてなぁ。
でもこればっかりは、…
代わってやる事もできねぇし…」
ドンと構えているのかと思った。
案外、そうじゃない事に気がついた。
お父さんでも、こんなになってしまうんだな。
「…こんな俺で、幻滅したか」
声が笑ってる。
…わざと、情けない自分を曝したの?
僕が、自己嫌悪に陥っているから。
お前だけじゃないよと
言ってくれているとしか思えなかった。
「幻滅なんてしない…
僕は、お父さんみたいにかっこよくなりたい」
わざと『お父さんみたいに』を
強調して言った。
だって本当のことだ。
人を褒めるのって、
褒められるのと同じくらい
照れるものなんだな…。
「嬉しいコト言ってくれるねぇ。
俺ほどは無理かもしれねぇが、
睦月は充分カッコイイぞ」
「…なんか…余計なコト言った?」
「余計なコトなんて言ってねぇな」
全部必要ってことね…。
「…」
「呆れんなよ」
「呆れたんじゃないよ。
その通りだなぁって思っただけ」
「おー?ヤケに素直だな」
相変わらず、目の前の襖を見つめたまま
お父さんは笑った。
「だってホントの事だから」
「くく…どうした」
さも可笑しそうに喉を鳴らす。
「…だって、さっき怖くて仕方なかった。
でもお父さんもお姉ちゃんも
すべきことを、ちゃんとしてるし
僕もちゃんとしなくちゃって…思ったんだ」
さっきまでの光景を思い出して
僕は全身を震わせた。
「なのに、お母さんがあんな唸り声上げて…
あんなに強い力で手を握られて…
何かしてあげなきゃいけないのに
何もしてあげられなかった自分が嫌になったんだ」
「……」
さっきまでの笑顔を引っ込めて
お父さんは黙って話を聞いてくれていた。
だから僕は、
普段なら絶対に言わないような事まで
話してしまうんだ。
「お父さんだったらどうするだろうって、
そればっかり考えてた」
そこまで言うと、
額に充てていた手を離し、
お父さんは背筋をぴっと伸ばした。
頑なに、こっちは見ないようにしてくれてるけど。