第36章 満つ
「だから睦月、お母さんも頑張るから、
睦月も逃げないでちゃんと見ててね。
お兄ちゃんに、なってね」
よしよしと頭を撫でられて
僕は泣いてしまいそうになった。
だってお母さんが、
あんまりにも綺麗で。
そうしてまた苦しみ出したお母さんの手を握り…
それしか出来ない自分に
僕は己がいかに無力であるかを感じていた。
だけど、今は僕しかいない。
お姉ちゃんはお湯を沸かしたり
手拭いやタオルを用意して
忙しなく動いている。
お父さんは産婆さんを呼びに行ったのだろう。
お母さんのそばについてろって、
そう言われた。
これが今、僕のすべきことなんだ。
何があっても、何を見ても
どんなに怖くても、僕はお母さんのそばに…。
お母さんが苦しんでるよ。
お願いお父さん…
早く戻ってきて…
心の中で、そう叫びながら。
そうしていざ、産婆さんが到着すると、
お父さんと僕は、蚊帳の外…いや、
部屋の外。
男は邪魔だとばかり、
産婆さんにポイっと放り出された。
部屋の中は、お姉ちゃんと
雛鶴さんたち3人…
「変わんねぇなあの婆ァめ…」
お父さんが悪態をついた。
言い方からして、
お姉ちゃんや僕を取り上げたのと
同じ産婆さんなんだろうな…。
お父さんは
何気ないフリをして
隣に座る僕をチラリと横目で見る。
「……フ」
笑いのような吐息を洩らし
ぽんと、その大きな手を僕の頭に乗せた。
「お前がいてくれて助かったよ。
睦も、安心出来ただろう」
……僕が泣いてしまった事に
気づいているんだ。
くそぅ…
「頑張ったなぁ睦月」
「………」
なんだよ、泣いてんのか?
…そうやって揶揄われるとばかり思っていた。
それなのに、
思わぬ慰労の言葉をもらって
再び涙腺が緩んでしまいそうだ。
いや、もう緩んでる。
というよりも、
崩壊だ。
それをわざと見ないようにしてくれているのか
お父さんは片手を額に充て
その肘を胡座をかいた膝に乗せた。
「睦月ー…」
「…ん?」
息を詰まらせて
まともな返事ができない僕に、
何のツッコミもせず
「こんな時よぉ、」
お父さんは大きなため息をついた。
「男は無力だな」