第36章 満つ
慌てて走り寄ると
苦しそうに顔を歪ませて
僕に向かって手を伸ばした。
何の心構えもないうちに
言われるままここに来て、
うずくまるお母さんを見た僕は
怖くてたまらなかったけど、
その差し伸べられた手が
僕を頼っているんだと思ったら
何が何でもしっかりしなくちゃと
心を奮い立たせるのだった。
「お母さん!ここにいるからね!」
僕はその手をぎゅっと握って、
何かに耐えるようなお母さんを励ました。
すると、
「うん…ありがと、」
お母さんは答えてくれて、
にこっと、笑ってくれた。
でも、僕の手を握り返す力はものすごくて
どれだけの苦しみなのかが窺い知れた。
「痛いの?…大丈夫なの?」
いけないと思いながらも
不安が口をついてしまう。
でも、
「赤ちゃんがね、もう産まれたいんだって…」
落ち着いた声で、お母さんは教えてくれた。
「…ふう、」
大きく息を吐き、
握った手からも力が抜けていく。
…あれ?
「治ったの…?」
苦しそうな表情も、
あの呻き声もおさまっていた。
「今はね…もう少ししたら
また来るから…」
「えぇっ⁉︎そうなの…?」
ちょっと怖気付いた僕に、
お母さんは笑ってくれる。
「そんな顔しないで?大丈夫、
弥生の時も、睦月の時も同じだったんだから」
……
「えー…お母さんごめんね、痛くして…」
僕のせいで
お母さんがこんなに痛かったのかと思うと
なんだかツラくって
本気で謝ったのに、
「…あはは!何言ってるの睦月ったら」
お母さんは本気で笑い出した。
「笑うことないじゃない?」
「ごめんごめん。だって睦月…ふふ、
可愛いねぇ」
可愛い⁉︎
「可愛くないの!」
「あぁ、そうよね、ごめんなさい。
でも、痛いのは私だけじゃないと思うんだ。
赤ちゃんだって苦しいと思うの。
だから、大丈夫。一緒にがんばれるから…」
「……」
僕は、今までお母さんを守ってあげるなんて
軽々しく口にしてきたけれど、…
「それにね、産まれてきた子を
この手に抱くとね、そんなツラいの、
ぜーんぶ忘れちゃうんだよ。
あぁ可愛いーって…すごく幸せなの」
そんな自信、失くしてしまいそうだよ。