第32章 ほころぶ
「帰りも抱っこしてもらわなきゃ
私帰れないよ?大丈夫かな」
意地悪のつもりで言ったのに、
「当然。余裕も余裕だ」
涼しい顔で天元は言った。
だめだ。
通用しないや。
でも食べてもらえるのは
ただ嬉しいな。
「…ありがと」
パカっと蓋を取り
3段分、開いて見せると
満足そうに笑った天元は
「ほんとに張り切ったんだな」
優しい口調でそう言った。
「どれも美味そうだ」
お箸を手にして、だし巻きをぱくっと
口に放り込む。
…割と大きいそれは、簡単に口の中…
私は妙なところに感心して
自分も同じものをひと口かじった。
桜を見つつ、月を眺めて
ぽつりぽつりと話しをしながら
…いつのまにかお弁当はカラッポ。
言葉通り、ほぼ天元が食べてくれた。
お腹、大丈夫なのかな、と
思っていた
その時、一陣の風が、
花びらを巻き上げて走っていった。
葉擦れ、ならぬ、花擦れの音。
やっぱり少し切ないけれど、
その美しさが私を慰めてくれるようだ。
「きれいだね…」
夜の桜は、昼間とはまた違った顔。
「いつかこんなふうに、桜を見たね」
私が振り返ると、
天元の切ない瞳がこちらに向いていて、
どきっと、した。
こいつの作ったメシなんか、
ほんとにいくらでも入るから不思議だ。
美味い、とかそんな度合いのモンじゃねぇ。
心に吸い込まれていくよう。
当然腹は膨れるが、…
ただの食い物ではないのだ。
少なくとも、俺にとっては。
ほぼ俺が食った事に、
嬉しそうに微笑んで重箱をしまう睦が
強めの風につられるようにその行き先に目をやった。
「いつかこんなふうに、桜を見たね」
そう言われて、
その時の事が一気に脳内に甦る。
俺が切なくなったのと裏話に、
振り向いた睦は
割と穏やかな表情で、
むしろこちらの反応に驚かれたようだった。
あの時睦は
ひとり桜の根元で童歌を歌っていた。
まだ、俺らの関係があやふやだった時。
「…覚えてる?」
眉を下げ、
どうしたものか悩ましげな笑みを浮かべる。
「覚えてるよ。忘れたくても、忘れられねぇ」