第65章 相性最悪
『………』
母はその時、ボソッと言った。
『あんたはいいわねぇ』
理解できなかった。
何がいいんだろう。
殴られているのも、怒鳴られているのも、何もいいことではない。
抵抗しても何をしても無駄だと知った今、時間が過ぎ去るのを待つ以外にやり過ごす方法はない。
時間が過ぎ去るのを待ち時間は、本当につまらない。
でも、いいことだと思わなくてはならなかった。
母がこう言うから、いいことだと思う必要があった。だって悲しそうにしていると言われちゃう。
『何その顔』
私は母にしかわからない表情をする時があるみたいだ。母だけが私に、その顔はなんだと言ってくるから。
鏡の前に立って同じような表情をしようと思ったけど、そこにいたのは、いつもの、ちょっと太々しい私だった。
『あんたは何がしんどいの』
ばん、と母がテーブルを叩いた。
口にしたクッキーの味がしない。ざわざわと嫌なものが胸の中をかけめぐる。
うん、まあ、大人のあなたほどではないかもね。
でも私だって疲れたりさ、嫌だなって、しんどいなって、そう思うことがあるんだ。
『何も知らないくせに、もう少し私の気持ちもわかってよ』
あなたは私の気持ちがわからないのに?わかろうともしないのに?こうして今、こんなことを言われる私の気持ちを知らないのに?
私はあなたの気持ちをわからないといけないの?
『こういうこと言うのもさあ、なんか嫌なのよ。心のどっかでは辛いって思ってるの。』
言われる私も辛いよ。
どうにもできないから。どうしようもないから。何も言えないから。
『私の方がよっぽど辛いの!!!!!』
母は吐き捨ててリビングから出て行った。
私の目の前にはクッキーの入っていた袋だけが残っていた。
クッキーの味を感じなかった。どんな味かも思い出せない。
____私も辛い
そう言いかけてやめた。
…きっと私の辛さはなんでもない。私が弱い。だから強くならないと。
私が間違ってる。
だから、正さないと。
でもわからない。わからない。この家の正しさが、私にはわからない。
ここから外に出たいけど、外に出たところでどこにも行けない。
私は何にもなりたくない。
未来なんていらないから、幸せな今をちょうだい。
______そんなこと、お母さんには言えない。