第60章 あの日を忘れない
というか、私は今の今まで忘れていた。
思い出すこの瞬間まで。
「…お前」
実弥の怒りも、最ものこと。
私には言い返す資格もない。受け止めるしかない。
「俺に嘘をついていたのか」
言い訳もこの場から逃げる手も全て失われた。
ちゃんと話しておくべきだった。
………の、だろうか。
違う、これは、私の秘密。
無惨に押し倒されたことなんて。触れられたことなんて。一生隠し通すべきことだった。実弥の言葉に動揺してはいけなかった。
私は秘密を背負うべきだった。
隠して、隠して、隠し通して。
ずっとそうしてきたじゃない。どうして今更それができないの。
バレてしまってからでは、誰かを傷つけてしまってからでは遅いのに。
「……嘘…では、ない。断じて。ただ、実弥に言うべきではないと思ってた。」
「……」
「わたしが…」
秘密がバレてしまってからはどんな真実も言い訳になってしまう。
ああ、もう、何話してもきっと無駄……。
「本当に、腹の中の子供は俺との子供なのかよ」
頭の中が真っ白になる。
実弥が掴んでいた私の手を乱暴に離した。
痛いほど食い込んでいた手が離れてほっとすると同時に、少しの寂しさを感じた。
「待って…それは疑わないでよ…!!この子が実弥との子供って事実に間違いはないんだから!!」
彼が離れてから、ようやく私の口は動いた。
私の訴えを聞いても、実弥の表情は冷たかった。
「わたしは」
謝れば
謝ればよかった。
私は、そうすればよかった。
けれど。
「私は一つも間違ったことなんてしてない!!無惨は私が手に入ればみんなに手は出さないって、見逃してくれるって言ったの、そういう約束だったの!!だから、全部、みんなを守るためにッ………!!」
左の頬に痛みが走った。
その瞬間、何も言えなくなった。
ただ部屋の中にはパン、という音が響いていた。