第56章 時間はない
ひとまず無一郎くんの提案通りに中庭を歩いた。おはぎは慣れない部屋で落ち着かないようだったので、無一郎くんに抱いてもらって一緒に庭に出た。
庭はいろんな植物が植えられていて、見ているとほっこりした。
無一郎くんは見知らぬ花を見つけるたびに匂いをかいだり、じっと観察したりしてはしゃいでいた。
「師範。このピンクのお花、可愛いですね。」
「それはルピナスだね…」
「へえ」
花の名前を教えると、また興味深そうに見つめた。
「おはぎも興味あるの?」
無一郎くんの腕の中で、まじまじとおはぎも見つめていた。
「なんだか藤の花に似てる。」
「うん。藤の花を上に向けたみたいだから、サカサフジって名前がついたくらいだよ。」
和風な庭には少し不釣り合いに見えたが、綺麗に咲いていた。
「花言葉とかあるんですか?」
「…ええっと」
大学の時、よく図鑑で見てたから確かに覚えていた。
「……『貪欲』と…『想像力』…あとそれから」
ルピナスの花をデッサンしようとしたんだっけ。それでよく調べたな。
「『あなたは私の安らぎ』、『いつも幸せ』……だね。」
無一郎くんはルピナスを見たまま、真剣な顔で言った。
「なんだか、師範みたいです」
「……え?」
「師範みたいなお花です」
はて、と首を傾げる。
…この子はたまによくわからないことを言うからなあ。
「どこら辺が?」
「んーー」
無一郎くんは飽きることなくルピナスを見つめていた。
「師範はいつも強くなろうと『貪欲』だったし、『想像力』があって、いろんなこと考えてて……。何より師範と一緒にいると『安らぐ』し、『幸せ』です。」
気配で本気で言っているのはわかった。
無一郎くんはルピナスの前から動かず、まだじいっと見つめていた。
「………お花みたいって言われたことないよ。」
「きっとみんな、師範のことはお花みたいに綺麗だって思ってます。だって師範は本当に綺麗ですから。」
「…」
無一郎くんはさらりと言って退けた。
「……僕、師範が大好きです。」
私はただその姿を見るしかしなかった。
何も言えなかった。
そんな言葉も、今の私にはあまり響かなかった。