第55章 いい子いい子
「優しい君のことだから、ちゃんとした理由があったと思うよ。それはわかる。けど、お願いだから線引きはして。」
ただただ力なくそう言うしかなかった。
だってここで暴れたところで何も解決しない。
それじゃあ、お母さんと同じ。
「…入院して帰ってきた時、なんか変な気配がすると思ったけど正体がやっとわかったわ。阿国だったの。」
冷静に。冷静に。
ちゃんと話さないとダメ。
チリチリと頭の裏で何かが燃えるような感覚があった。
どうだろう。私が阿国だったら、嬉しかっただろうか。
ああ、きっと嬉しい。
いいことをしたんだろう。実弥は、いいことを。
燃えている。
私の体の中はずっと何かが燃えていた。
燃えて燃えて、そのうち焦げて消えてしまいそうな。
私は、自分の体の変化を自覚しつつあった。
「何で」
声が震えていた。
「何でここで黙っちゃうかな」
実弥は何も言わなかった。
呆然と立ち尽くしているように見えた。
「本当に、あなたって優しい」
「………」
何だか言葉を探しているようだった。
彼が話し始めたのは随分と長い間の後だった。
「…あの時は、阿国が」
これもまた、間が空いた。
「お前と重なったんだ。」
何だかそれを聞いてストン、と落ちた。
「私のことは助けなかったくせに阿国にはずいぶん優しいじゃん」
自分が自分じゃないみたいだった。
勝手にそんな言葉が出た。
バタン、と部屋の扉を閉めた。
大きなカバンに服や必要なものを詰め込んだ。
実弥はこうなったら私が落ち着くまで待つのを知っている。絶対に話しかけてはこない。
いつも私が叫んで、閉じこもって、グスグス泣き始めたら実弥が来る。いつものパターン。
だから。
実弥も自分の部屋に入った隙を見て、カバンを持って玄関に向かった。
『行くのか』
おはぎが玄関で靴を履く私ににゃんと鳴いた。
『なら俺も連れて行け。外に出たい。』
青い瞳にそうせがまれて、何だか置いていこうとは思えなかった。
おはぎのお気に入りのタオルにその体を包み込んで、カバンを片手に玄関の扉を開けた。