第29章 海は広くて大きいが
「ダメだ」
先輩は優しく断った。
「それはダメだよ、霧雨。」
私は差し出した手を引っ込めた。
「私たちは、もう、手を繋ぐような仲ではないんだ。」
先輩がそう言った。
ああ、そうだ。
確かにそうだ。
「……」
私は持っていた鞄を乱暴にその場に落とした。先輩が驚いて黙り込んでいる隙に砂浜を猛ダッシュした。
太陽が落ちようとする海まで一気に駆け抜けた。
「霧雨!!」
先輩の焦った声がする。
バシャッ、と押し寄せる波がすぐそこまで来ていた。
先輩がその時に私の手をつかんだ。そしてぐっと引き戻された。まるでおもちゃでも相手にするように軽々しく先輩はそれをやってのけた。
「…は、はは…っ、馬鹿力…!」
「馬鹿者、何をしているんだ!」
先輩に私はふふっと笑いかけた。
「手、繋げましたね。」
そう言うとハッとした先輩は離そうとするので、グッとその手を握り返した。
私の力なんてたかが知れてる。振り払おうと思えばできるはずだ。
なのに、先輩はしなかった。
大きな手からどんどん力が抜けていくのがわかった。
「なぜだ」
「なぜって」
「なぜこんなことをする」
先輩は今にも泣いてしまいそうだった。
ああ。
変わらないのは、あなたこそ。
泣き虫なのは、変わらない。
「自分ばっかり後悔って言いますけど、私だって後悔してます」
「…霧雨」
「……手を引いて、あなたを海のそばまで…波打ち際まで連れて行きたかったのよ」
先輩がソッと私の手を握り返した。
「行冥」
「…」
日が沈む海岸で2人きり。
手を繋いで波打ち際まで。
「海まで来るのに、何百年もかかったわね」
そう言うと、彼は泣いた。
代わりに私が笑った。
日が沈む海岸で二人きり。手を繋いで波打ち際まで。名前を呼び合って。泣いて、笑った。