第29章 海は広くて大きいが
繋いだ手をするりと話せば、彼は罰が悪そうに話し始めた。
「…やはり、あの時波打ち際まで来なくて良かった。」
それから微妙な隙間をあけたまま二人で並んで歩いた。
海から離れたところに行くと、先程いた場所に一台の車がとまっていた。その見覚えのある車に二人でピタリと立ち止まる。
「迎えが来たようだな。」
「…そうですね。」
「行ってくるといい。心配しているだろうから。」
言い終わらないうちに先輩は私に背を向けた。
その背中にお礼を投げかけたが、聞こえなかったのか彼はズンズンと歩いて行った。
…あの時、素直に海まで駆け出していたらどうなっていただろうか。彼は私を止めただろうか。
海に行ったことを私はいつまでも覚えているんだろうな。繋いだ手の大きさとか、彼の体温とか、かわした言葉とか。
当時は目が見えなかった彼も、果たして覚えたままでいてくれただろうか。そうなったら、今はどんな関係なんだろうか。
それを思うと寂しくて、私は肩を落とした。
「……」
海風に吹かれていると、誰かが後ろから近づいてきた。誰かなんてすぐにわかる。
「おい」
実弥だ。
「気は済んだか?」
ぶっきらぼうな言い方。やはり機嫌が悪い。
仕事からそのまま来てくれたのか着崩したスーツ姿だった。
……悲鳴嶼先輩とは似ても似つかない。
でも、私は彼が大好きだ。
「……ねえ」
「あ?」
「波打ち際まで行ってみない?」
手を差し出すと、実弥は眉をひそめた。
「行かねえ。さっさと帰るぞ。車乗れよ。」
「………」
実弥は雑にそう言い放った。
……このまま海に走れば実弥は止めるだろうか。止めなかったら私はどうなるんだろうか。
「じゃあ、今度また連れて行ってよ。」
「……わかった、わかった…。」
実弥は呆れたように言う。私はにこりと笑った。
試すようなことはもうよそう。
だって、今の私には海に沈む理由がないのだから。