第29章 海は広くて大きいが
「あの時も海に近づいたら泣いてしまったのだろうか」
独り言のような疑問に、私ははっきりと答えた。
「いいえ」
悲鳴嶼先輩は驚いたようにハッと顔を上げた。
「………そうか」
「………」
パアッと効果音が付き添うなほど笑顔になるので、つられて笑ってしまった。
「ふふっ、変なの、ふふふ」
「や、やめてくれ、あまり笑わないでくれ……」
真っ赤になってそう言い出すのでまたこれがおかしい。
日が沈み出す前に、先輩は実弥に電話をかけてくれた。
「…あぁ、そうだ。今は落ち着いている。」
頭がごちゃごちゃしてうまく話せなかった私の代わりに悲鳴嶼先輩が全部話してくれた。
「うん…そうだな、それが良い。……いや、そこは気にしなくても良い。………私もけっこう楽しんでいるから。」
何を話しているのかはわからなかった。……実弥、怒ってるんだろうな。
「それでは」
電話を切ると、一瞬だけ部屋は静まり返った。
「…私」
その一瞬
「変じゃなかった?」
時代を越えた気がした。
「……何も変なことはないよ」
“彼”は私に微笑んだ。
「“あなた”は、真っ当な人間だった。」
………。
「あなたは誰かが困っていれば迷うことなく助けた。自分が死んでも怪我をしてでもそれをやってのけた。海はそんなあなたをうつしているようで恐ろしかった。
大きくて広くて、それでいて恐怖を持ち合わせていて……あの時は本当に恐ろしかった。海に向かって走っていって、そのまま消えてしまいそうな気がして、それでな。」
“先輩”の言葉は、私の頭のごちゃごちゃを吹き飛ばすほど強烈だった。
「お前の言う“変”が私にはわからないが、何があってもそれを否定するような人間はお前の周りにはいないのではないか。」
驚くほど、ストンと胸の中に落ちた。