第95章 僕の師範ー昔の話ー
俺が屋敷を出ようとすると、門のところに悲鳴嶼さんがいた。
その大きな背中を見て、少し寂しさのようなものを感じた。
「結局」
俺が話しかける前に、悲鳴嶼さんが口を開いた。
「私は信頼されていなかったのだな。」
「聞いてたんですか?」
「冨岡が霧雨からの手紙を託されていたことを私に話して帰った。」
悲鳴嶼さんはフッと笑った。
「もう帰るといい。話をややこしくさせて悪かった。」
そこで立ち去ってもよかったが、俺は昨日見た夢を思い出した。
「師範は、悲鳴嶼さんが約束を破るからよく怒っていました。」
「…そうか。」
悲鳴嶼さんは天を仰ぐ。
「確かに、私は彼女が最後に残した手紙をお前に渡すなんてことはできなかっただろう。ガラスの判断は正しい。」
俺も天を仰いだ。
「どうして師範との約束を守らなかったんですか?」
「色々とな。仕事が立て込むこともあれば、怪我の治療で何もできないこともあった。その度に彼女が胸を痛めていたのは知っていたが、霧雨自身も約束を守ることは少なかったからお互い様だ。
鬼殺隊の柱である以上、優先するべきものは決まっている。割り切っていたよ。」
「……。」
2人の関係がなんだったのか。
俺は今でもわからない時がある。
愛し合っていたのか、嫌い合っていたのか。
「師範は、割り切ってなかったと思います。あなたに会えない時は拗ねていました。」
「そうか。言ってくれればよかったものを。」
悲鳴嶼さんの目から涙がこぼれた。
「____私は、時折がそばにいるような気がしてならない。」
「……」
「だが、もう忘れたい。」
大きな手が俺の頭の上に乗せられた。
「その手紙を読んだら、もう彼女の話はするな。」
涙を流す、何も映さないその目。
師範の顔を一度も見たことがないその目。
忘れるだなんてひどいと、おそらく少し前の俺なら言っただろう。
師範を汚点とまで言ったこの人を憎んだだろう。
けれどそれは、死した師範へのはなむけの言葉。
人生という、鬼殺隊という、鬼という、仲間という、そして何より恋人である自分自身から。
何もかもから解放された師範の自由を願う、最大の愛の言葉。
その時、俺は。初めて悲鳴嶼さんの、師範への想いを理解できた気がした。