第92章 夜露死苦
話もひと段落したのでみんなで一息つくことにした。
散々言われたが家主は私なので台所でお茶の用意をする。あくびをこぼしながらお湯を沸かして緑茶を淹れていると、トコトコと足音が聞こえた。
「無一郎くん?」
「えっ」
姿が見える前に名前を呼ぶと、驚いた顔の無一郎くんがひょっこりと現れた。
「なんでわかったんですか?気配を察知するの、できなくなったって聞きましたけど。」
「足音かな。なんか、無一郎くんだなって思ったの。」
「…やっぱり師範はすごいなぁ。」
相当びっくりしたようで目を丸くしていた。
「それで何の用?」
「…」
いざ聞くと、彼は黙り込んでしまった。なんとなく察しがついていたので私は自分の作業を続けた。
「運ぶの手伝ってくれる?」
お茶菓子を乗せたおぼんを差し出すと、無一郎くんは遠慮がちにそれを受け取った。
淹れたてのお茶を乗ったおぼんは自分で持とうと手を伸ばすと、後ろから無一郎くんがあっと声を上げた。
「僕がそっちを持ちます。お茶の方が重いですよね。」
「…じゃあお願いね。」
小さかった頃のイメージが強いので、つい軽い方を渡してしまったが今や無一郎くんの方が私より体がおおきい。…昔の癖って抜けないもんだな。
無一郎くんはなんともないようにおぼんを持って歩き出した。その隣に私も歩く。
「ここに来ても暇だったんじゃない?」
「師範がいるから…」
「君はそればかりだねぇ。」
喜んでいいのかダメなのか、私としては複雑だ。
「あの、師範」
「何?」
「いなくなったりしませんよね?」
無一郎くんが不安そうに聞いてくる。
私はじっとその青い目を見つめ返した。
「大丈夫だよ。“私”はね。」
先ほど部屋に飛び込んできた時に、無一郎くんは彼女を見たはずだ。
この子がどう思ったのかは知らないし聞かない。
今はそれでいいはずだ。