第89章 たそがれ時
家を飛び出したのは真昼間だっただろうか。でも今は茜色の空が頭上にあった。
「……夕陽って嫌いだったなぁ。」
「そうなのか?」
「夜になったら鬼が出るから。」
そう言うと、巌勝はふっと笑った。
「私は好きだったぞ。食事の時間だからな。」
「…趣味わる。」
「まぁ、鬼にとっても人間にとっても今は良い時間だ。」
薄暗くなっていくオレンジの空を見上げて巌勝は言った。
「黄昏、だな。」
「黄昏ねぇ。」
私はふう、とため息をついた。
「もう穏やかな気持ちで夕日をみてもいいのね。」
巌勝が何を思ったかわからないが、彼は背中におぶった“私”に目を向けていた。
「過去は消えない。加えて私たちは、前世の自分の行いをも背負っている。難しいものだ。」
「………巌勝は物理的に背負ってるけどね。」
「今すぐに歩けないようにしてやってもいいが?」
ギロリ、と本気で睨まれた。
やば。
「ごめん、今のは空気読んでなかった。」
「…かまわん。そういうことが言えるのは良い兆候だ。人間、静かになりだしてからが怖い。」
「何それ。体験談?もしかして阿国の「違う」……反応はや!」
阿国の名前を出すたびに反応がいちいち過敏になるのが少し面白い…。なんて言ったら倍返しで言い負かされるのでもう何も言わないが。
「巌勝とはおじいちゃんとおばあちゃんになっても一生くだらないこと言ってそう。」
「勘弁してくれ。お前に振り回されるのは今日で最後だ。」
「嫌だよ。あなたがいないと張り合いもクソもない。」
「私はそれが迷惑だと言ってるんだ、…。」
ため息まじりに言われた。
が、なんとなくわかる。
「気配察知の力は無くしたけど、わかる時はわかるみたい。今『悪くないかも』って思ってるでしょ?」
「黙れ」
「黙らん」
「…わかった、上等だ。お前は絶対に歩けなくしてやる。」
巌勝が珍しくムキになるので、私はおかしくて笑った。