第9章 修行
杏寿郎は無表情で固まっていた。
「愛い・・・」
「ウイ?何でフランス語?」
ポツリと呟かれたそれに首を傾げつつも、杏寿郎が特に嫌がっていない様子なので、名前はそのまま数回優しく撫でてから手を下ろした。
「良かった。痛そうな音がしてたけど、コブにはなってないみたいですね」
杏寿郎の顔を見上げる名前は、ホッと息を吐いて微笑んだ。
「もう少しだけ・・・」
「え?」
名前を見つめながら、杏寿郎はその細い手首を掴んで自分の頭へ導く。
けれども二人はそれなりに身長差がある為、どちらかが距離を縮めないと届かない。
「わっ」
杏寿郎は名前の身体をヒョイと抱き上げて片腕に乗せると、少しだけ頭を傾けて上目遣いに彼女を見つめる。
ワタワタとバランスを取る名前の手を捕まえてキュッと握れば、名前は頬を染めて杏寿郎を見下ろした。
「君の手は心地良いな。もう一度お願いしても良いだろうか?」
互いに何を?とは口に出さない。
杏寿郎は親指で名前の手の甲をスルリと撫でてから、捕まえていたそれを解き放つ様に掌を上に向けて手を開いた。
「名前」
お願いと言いつつも、その熱っぽい視線は早く撫でろと命令していて、名前から拒否権を奪い去っていく。
乞われるままマリオネットの様に手を伸ばし、杏寿郎の頭にそっと触れると、先程も感じたなんとも言えない病み付きになりそうな感触が掌に伝わってくる。
それを味わいながらゆっくり撫でると、杏寿郎が猫の様に眼を細めて口許を緩めた。
「・・・・・・」
一連のやり取りを見ていた槇寿郎は腕を組み、この二人はこれで本当に付き合っていないのだろうか、とむず痒い気持ちになりながら、甘い空気を醸し出す息子と未来の義娘になるかも知れない名前を眺めるのだった。