第8章 煉獄家
力を発現した直後の名前がこの様な状態になるのを何度か目にしているが、今はそうではない。
一体彼女の身に何が起こっているのかと思案していると、千寿郎が腕で顔を拭いながら駆け寄ってきた。
「兄上!名前さん!」
突然降り出した雨は止むのも唐突で、雲間から光が差し込み始めたと思ったら小降りになり、あっという間に止んでしまった。
分厚い雲で覆われていた空も、スーッと晴れて青空に替わる。
腕に凭れる名前の身体は雨で濡れた為かとても冷たくて、杏寿郎はその身を羽織りで包む様にして腕に抱え、立ち上がった。
「杏寿郎、彼女を客間で休ませてやりなさい」
「父上・・・?」
常に怒鳴るか投げやりで無関心な態度だった父が、どうした事か。
杏寿郎は思わずその顔を凝視した。
すると、少しばつが悪そうな表情を浮かべた槇寿郎は、杏寿郎から千寿郎へと視線を移す。
「千寿郎、すまないが風呂の用意をしてくれるか」
「は、はい!」
あたふたと走る千寿郎の背に向けて、先に着替えてからするようにと声を掛けつつ、槇寿郎は杏寿郎に背を向けた。
「杏寿郎、お前達も早く着替えなさい。それと・・・彼女には、瑠火の着物を貸してやるといい」
「よもや・・・父上、お気遣いありがとうございます」
「ふんっ」
振り返る事もなく足を進めた槇寿郎は、戸口の前でピタリと立ち止まった。
「さっさと来なさい。風邪をひくぞ」
「!・・・はいっ!父上っ!!」
槇寿郎は前を向いたままだ。
けれど杏寿郎は嬉しそうに大きな声で返事を返し、破顔した。