第2章 不穏な男
「それは彼の仕事に必要な事だし、帰って直ぐにでも籍を入れたいって話を進める予定で……」
「そんな事じゃないの。 まだエッチもしてないなんて有り得ない!」
「か、香織!!」
バン!とカウンターを手のひらで叩いてそう声を張る香織に私は顔を赤く、いや青くして周囲を慌てて見回した。
その瞬間、おそらく先程からの視線の主と目が合ってしまった。
黒い髪、すっとした冷たい印象の顔立ちのその人はきょとんとした表情をしていたけれど、私の顔を見た瞬間俯いた。
違う、微かに震える肩で分かった。
あれは笑ってる。
「え、あれっ?」
素っ頓狂な香織の声で我に返ると今のテーブルを叩いた勢いで香織が手に持っていたショートグラスの中身が派手に彼女のスカートに零れてしまっていた。
「わわ、おしぼり!」
「すみませーん!!」
焦る香織に私は手を挙げて店員さんを呼ぶ。
そんな私たちにカウンターの端では無く実は少し離れた斜め向かいに座っていた男がこちらに声を掛けてきた。
「それ、すぐに化粧室で洗った方がいい」
声の主はまだ目尻に笑いを残しつつ、そのせいで柔らかな雰囲気に変わっていた。
確かに忙しない店内の割に従業員の数も少なく、おしぼりの追加は望めそうもない。
「そうね、ありがと! あたし、ちょっと行ってくるね!」
「わ、私も一緒に……」
そして香織の後をついて行こうとする私の腕が何かに引かれてバランスを崩しかけた。
男の背後を通ろうとした時に掴まれたらしい。
「あ……の?」
「工藤和泉」
「え……?」