第89章 ※漸く訪れた一夜
杏(俺の…婚約者。すれ違いの2年は地獄だったな。だが、こうして結ばれた。やっと…、)
杏寿郎は早くも寝てしまった桜の頬を優しく撫でると今度は小さな左手を握り、その指に嵌っている指輪を見つめた。
杏(記憶が戻ってからは度々似合うものを探していた。付き合うどころか連絡さえも取れなかったのに…どうかしているだろうか。)
手を動かし、小さく灯らせてある光を石に当てる。
すると時たまそれが桜色に光る。
杏寿郎は小さな手を握って2人の関係を確かめるように その動きを何度も何度も繰り返してその光を見つめた。
(…………………あれ……いま…何時だろう……。)
待ちに待ったプロポーズをされた夜だった為か 桜は夜中に目を覚ましてしまった。
隣を見ると杏寿郎が穏やかな顔で規則正しい呼吸を繰り返している。
桜はそんな杏寿郎を見つめると少し頬を染めながら手を伸ばした。
「……相変わらずかっこいいなあ。」
少し掠れたとても小さな声でそう言うと、桜は杏寿郎の頬を両手で包む。
そして親指で頬を撫でながら暫く杏寿郎を見つめていた。
(どんなに人気のある俳優さんでも杏寿郎さんの隣に立ったら絶対に霞んでしまう。昔より雰囲気も随分と柔らかくなったなあ。平和な世だったからかな…それとも大人になったからかな……。)
そんな事を考えながら額にキスを落とすと桜はそっとベッドを抜け出してトイレへと向かった。
そして途中にある鏡を見て赤面する。
(えっ、えっ!なんで気付かなかったんだろう…!首も…こんな所までいっぱい……、)
肩から首筋にかけてキスマークと噛み跡が無数に散らばっていたのだ。
桜は『コンシーラーを買わないと…。』と小さく呟きながらトイレに入った。
ベッドへ戻った桜は出てきた時同様になるべくゆっくりと動き、布団を被ってそっと杏寿郎の胸の中に入るとそこに すりっと頬擦りをする。
そして再びゆっくりと瞼を閉じ、暫くの間その大きな心臓の音を聞いていた。