第89章 ※漸く訪れた一夜
「……………………きょ、じゅろさん……?」
その酷く愉しそうな黒い笑みに動揺した桜が思わず震える声を掛けると、杏寿郎はすぐに優しい笑みを浮かべた。
(……あれ……………?)
それは本当にあっという間であり、桜はどこまでも優しい杏寿郎の笑顔を見ていると先程の質の悪い笑みは見間違いだったのではないかと思ってしまう。
一方、暴走を始めた後に取り繕ったにも関わらず、自身の偽りの笑みを見て容易く力を抜いてしまった桜が愛おしくて、杏寿郎は優しい笑顔のままゆっくりと目を細めた。
すると桜は出会ったばかりの時のように頬を染める。
桜に声を掛けられてから冷静さを取り戻していた杏寿郎はその頬の赤さを見ると目を丸くさせてから眉尻を下げ、そして本物の微笑みを浮かべた。
杏「俺に名を訊いた時もその様な顔をしていたな。俺を好きだと言っている目だ。」
「…………………………。」
桜は更に赤くなると目を瞑って顔を背けてしまった。
その反応も懐かしく、杏寿郎は指をそっと抜くと怖がらせないように優しく赤い頬を撫でてその表情を愛でた。
杏「桜、余裕を失くし怖がらせてすまなかった。もう平気だ。今のも揶揄った訳ではないぞ。ただ君が愛らしくて愛おしいと言っただけだ。そのまま恥ずかしがらず素直に俺の気持ちを受け取ってくれ。」
その言葉を聞くと桜は頬を赤らめつつもゆっくりと顔を正面に戻した。