第16章 目覚めた女と諦めない男
杏「桜、起きていたのか。」
杏寿郎は少し目を大きくした。
そして駆け寄ってきた桜の前に膝をつくと、"よしよし" と撫でる。
(…あっ!これ完全にご主人の帰りを喜ぶわんちゃんの図だ…。)
そう一瞬遠い目をしてから顔を上げると、
「杏寿郎さん、任務お疲れさまです。」
と小声で言った。
杏「うむ。ありがとう。」
桜は酒のことについて伝えたくてそわそわとし、杏寿郎の後を追った。
杏寿郎はいつも通り台所へ行くと手を洗ってから、そこに用意されている握り飯の皿を手に取る。
そして一段高くなっている居間へ続く襖を開けるとそこに腰掛け食べ始めた。
杏「今日は白身魚と野沢菜か。うむ。うまい。」
(わ、静かなトーンの『うまい』だ…。)
杏「……ん?」
杏寿郎が視線を向けた先は、握り飯の皿が置いてあった辺り。
布巾が掛かっていたので気付かなかったが、捲ると蛤の酒蒸しと大根の甘酢漬けがあった。
いつもは疲れた後にも食べやすいようにと握り飯だけ用意する千寿郎に、なんの心境の変化があったのかと杏寿郎は首を傾げる。
桜は何があるのか気になって前脚を机に掛けると声を上げた。