第11章 夢の中の人
しかし―――…、
杏寿郎はすぐに普段の冷静な目に戻り、女の肩にあった手にぐっと力を込めて首元から離した。
そして、女を優しく抱きかかえると元の場所へ下ろす。
杏(夢の中だとしても、俺は寝ている女性に身勝手な欲をぶつけるような事はしたくない。)
色恋は避けて生きてきたと言っても、さすがに杏寿郎もこの欲の名前を知っていた。
杏(俺はこの女性に…欲情、したのか。)
杏寿郎は寝ている無力な女性にそんな欲を持ってしまった事を恥じた。
眉を寄せて小さく息をつくと、また腕の中の女を見つめる。
杏「……しかし、やっと声を聴けたな。」
杏寿郎は女を優しくゆるく抱きしめてから またその頬を撫でた。
杏(本当なら、恋仲でもないのにこんな触れ方をして良い筈は無いのだが…。)
いつ死ぬか分からない杏寿郎は女性を側に置かず、ひたすら鍛錬に没頭してきた。
だが、この夢の中ではその経験を味わってもいいと許された気になったのだ。
杏「参ったな。声を聞いたら余計に話をしたくなってしまった。」
杏寿郎は残念そうに眉尻を下げつつも、また愛おしそうに女の頬を撫でる。
そうするとやはり女は無防備に柔らかい表情を作る。
一目見たときから愛おしく、撫でる度、表情を見る度に益々想いが募る。
杏(彼女なら、夢の中ならば、想い続けても、俺が死んでも…何も問題はあるまい。)
杏寿郎は目を瞑りながらそう思うと、また薄く目を開く。
杏「夢の中で何をこんなに考えて…どうかしている。」
眠気から働かない頭でそう言い、頬を撫でていた手も止まりかけた時、また桜色の唇が目に入る。
しかし朦朧としながらも杏寿郎は何もせず、自己嫌悪故に布団から出る程めいいっぱい距離を置いてから眠りについた。